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西ドイツ=ポーランド国交正常化条約

1970年に調印された、西ドイツとポーランドの国交回復と国境の現状維持で合意した条約。西ドイツのブラント首相の東方外交の成果であった。

 1970年12月7日に締結されたドイツ連邦共和国(西ドイツ)ポーランドとの間の国交を回復させた条約であり、これによって戦後の大きな懸案であったドイツとポーランドの国境問題が解決された。
 西ドイツのブラント首相の東方外交の一環として進めた共産圏との関係を構築することとなった。2月に交渉が始められ、12月7日、ワルシャワでブラント首相とポーランドのチランキエヴィッチ首相の間で調印された。  その内容はソ連=西ドイツ武力不行使条約とほぼ同じだが、第一条でオーデル・ナイセ線を侵すことのできないポーランドの西部国境であるとして明確に規定された。これによってポツダム協定以来もめてきたドイツの東部国境が確定した。

Episode 1票差で生まれたポーランドとの条約

 ブラント首相がポーラントと締結した国交正常化条約の、ドイツ議会における批准は困難を窮めた。オーデル・ナイセ線を国境線として承認することに保守派や右翼の抵抗が強かったからである。連立与党の自由民主党からも反対者が出て、与党は少数派になっていた。反対派はブラント不信任案を提出した。
(引用)72年4月28日の討議、投票採決にあたっては、誰もがブラント政権の終末を信じて疑わなかった。野党側が1票多いのである。ところが開票してみると、たった一人、誰だか分からないがCDU(キリスト教民主同盟)側の議員が逆に与党側に投票したために、政権交代は防がれた。多くの大学の学生食堂に「かくも良き日、かくも美しき日」というお祝いの合唱が流れた。戦後の西独の政治史でも最もドラマチックな一日であった。…………もっともこの投票には苦い後日談がある。CDUの議員の一人がSPDが申し出た金銭と交換で不信任案反対の投票をしたらしいことが明らかにされた。権力とは恐ろしいものだ。<三島憲一『戦後ドイツ』1991 岩波新書 p.194>
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ノートの参照
第17章1節 ア.米・ソ軍縮と緊張緩和
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三島憲一
『戦後ドイツ』
1991  岩波新書