印刷 | 通常画面に戻る |

東西ドイツ基本条約

1972年、東西ドイツが互いに双方を認め合い、交渉を開始することで合意した条約。

 1972年12月12日に調印された、西ドイツと東ドイツ間の条約。それまで、お互いにドイツ唯一の国家であることを建前とし、相手を認めてこなかった両国が、互いに主権を持つ国家であることを認め合い、関係を正常化しようという条約である。
 ドイツ国家の分断を認めることになるが、西ドイツのブラント首相が、積極的に現実を認めるところから変革を探ろうという精神で実行した東方外交の成果であった。70年3月から両国首脳が初めて直接会談を行い(東西ドイツ首脳会談)交渉を始めたが、交渉は難航し、中断された、1971年5月に東ドイツの社会主義統一党ウルブリヒト第一書記が失脚し、代わってホーネッカー第一書記となり、進展が見られた。1972年6月に交渉は再開され、12月に東ベルリンで調印された。この条約で西ドイツは正式にハルシュタイン・ドクトリン(東ドイツを国家として認めないと声明していた)を放棄し、両ドイツは平等な国家関係に入ることになった。当時はこれが直ちにドイツ統一に向かうとは誰も思わなかったが、結果的にその第1歩となった。1973年には東西ドイツの国連同時加盟が実現した。
 東西ドイツが互いに相手の存在を認め合ったことによって、ヨーロッパの東西冷戦が変質し、緊張緩和(デタント)に向かう素地ができた。それが1975年の全欧安全保障協力会議(CSCE)の開催とヘルシンキ宣言で国家の枠を越えた自由や人権の問題を解決していく姿勢を生み出し、東欧社会主義圏に変化を呼び起こしていくこととなる。
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
第17章1節 ア.米・ソ軍縮と緊張緩和