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ソ連の大統領制

ソ連のペレストロイカの一環で、1990年3月、人民代議員大会の選挙でゴルバチョフを大統領に選出した。しかし翌91年8月の保守派クーデタが起き、12月に辞任した。

 ソ連のゴルバチョフ共産党書記長は内政改革(ペレストロイカ)とともに、外交でも大胆な「新思考外交」を展開して、87年にIFN全廃条約締結に成功して足場を固め、1989年第1回人民代議員大会で最高幹部会議長に選出された。次いで、党と国家の分離に踏み込む憲法改正が課題とされ始めた。

国民が選ばない大統領

 この間、ソ連の変革に刺激された東欧諸国が次々と社会主義から離脱、東欧革命が急激に進展した。90年2月の党中央委員会総会ではゴルバチョフは一党制支配の根拠である憲法第6条の放棄を宣言して複数政党制に踏み切り、さらに3月には第3回人民代議員大会は大統領制の導入を決定し、ゴルバチョフを初代大統領に選出した。しかし、国民投票での選出でなかったことは新大統領の権威の低下につながった。91年8月の共産党保守派クーデター失敗を機に、ロシア連邦は一気に解体に向かい、12月にロシア、ウクライナ、ベラルーシが独立国家共同体(CIS)を結成することで合意したため、同年12月ゴルバチョフはソ連邦大統領を辞任し、ソ連邦は解体した。
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