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第17章 現代の世界

2 社会主義世界の解体と変容

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ア.ペレストロイカとソ連の崩壊
 ソ連社会の停滞  
・1970年代の ソ連  ブレジネフ 体制が続く。絶対的権力を握る。
  西側とのb デタント を実現するが、農業生産力の低下、電子産業部門での立ち後れなど表面化。
 1977年 最高会議幹部会議長を兼任。 → 経済成長の鈍化、言論の抑圧など停滞が続く。
・▲c 反体制知識人 に対する弾圧を強める。
  d サハロフ   「水爆の父」と言われたが反核に転じ、75年ノーベル賞受賞。80年に軟禁される。
  e ソルジェニーツィン  『イワン=デニーソヴィッチの一日』でノーベル文学賞受賞。74年、追放。
 アフガニスタン  情勢
・1973年 王政廃止。共産勢力の人民民主党が台頭。ソ連との連携強まる。
 1978年 クーデターでアフガニスタン共産主義政権が成立。しかし内部対立から政権不安定となる。
・1979年 ソ連軍、a アフガニスタン侵攻 。制限主権論に基づく共産主義政権の支援を口実にする。
  → 反政府ゲリラの抵抗により、苦戦が続く。アラブ諸国も反政府活動を支援。国際世論も反発。
  → 1980年 アメリカ・日本などがb モスクワ=オリンピック をボイコット。
・この結果、70年代のデタントは終結し、c 「新冷戦」 に転換。
  → アメリカ合衆国のレーガン政権、SDI構想を発表、米ソ軍拡競争が再燃。
 1982年11月 d ブレジネフ 死去 → 後継者アンドロポフ、チェルネンコ、相次いで死去。
  → 改革の機運高まる。
 ゴルバチョフ政権 
 1985年3月 a ゴルバチョフ  共産党書記長に就任。
・内政:情報公開(b グラスノスチ )と改革(c ペレストロイカ )を掲げる。
 1986年 d チェリノブイリ原子力発電所 の放射能漏れ事故おこる。
       → 約30万人が死亡。ソ連社会の管理体制の欠陥が明らかにされる。
 1989年 複数候補者制選挙による連邦人民代議員大会・連邦最高会議制が実現。
 1990年 共産党の指導に代わり、e 大統領制 に移行 初代大統領となる。
       → 社会主義計画経済から、f 市場経済 への移行に踏み切る。

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・外交:アメリカとの協調と軍縮の進展につとめる。(g 「新思考外交」 を唱える。)
  1987年 アメリカ(レーガン大統領)との間でh INF全廃条約 調印(前出)。
ゴルバチョフ

 ゴルバチョフ  

  1988年 i 新ベオグラード宣言  各国それぞれの社会主義を容認。
   → ソ連邦を構成する諸民族の自立・分離要求強まる。
   → j バルト三国 、グルジアなど分離要求強まる。
  1988年 k アフガニスタン撤退 開始。 → 89年に撤退完了。
・1989年5月 中国訪問し、 中ソ関係正常化 。 → 56年以来の中ソ対立終わる。
  同  年12月 l マルタ会談 でアメリカ大統領m ブッシュ と会談しn 冷戦終結 を声明。
 背景:同年のo 東欧革命 による東欧社会主義圏の消滅。
 ソヴィエト連邦の崩壊 
・1991年8月 ソ連のa 保守派クーデタ 失敗する。ゴルバチョフ、b ソ連共産党解散 を宣言。
  同  年9月 c バルト三国  = エストニアラトヴィアリトアニア
         ウクライナベラルーシグルジアアゼルバイジャンアルメニア
         次々と独立宣言。中央アジア5ヵ国も独立宣言(後出)。
  同  年12月 d ロシア・ウクライナ・ベラルーシ の三国首脳、ソ連邦解体を宣言、
         e 独立国家共同体(CIS) ※を結成。旧ソ連の11ヵ国が加盟。
   → ロシアはロシア連邦と改称し、大統領にf エリツィン が就任。(右図)
    ※1993年にグルジアが加盟し、12ヵ国となる。
 意義:1922年以来のC ソ連の崩壊 。15の独立国家に分かれる。
    同時に、g 社会主義を放棄し、資本主義(市場経済)に移行した。 
     レニングラードをh サンクトペテルブルク の名称に戻す。
エリツィン

 エリツィン  

・f エリツィン 政権下のロシア連邦
   → 急激な市場経済化により経済が混乱。1998年、ロシア経済危機に陥る。

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イ.東欧社会主義圏の解体
 ポーランド民主化 
 社会主義政権の食品値上げに対する抗議ストライキが広がる。
・1980年 a ワレサ を指導者とする労働者は、自主管理労組b 「連帯」 を組織。
 1981年  ヤルゼルスキ 首相、戒厳令により、b 「連帯」 を非合法化。
 1988年 政治活動の自由と賃上げを要求した炭鉱と港湾の労働者、スト突入。
 ベルリンの壁 の開放
 a 東ドイツ  社会主義経済の停滞、言論統制に対する不満が強まる。
・1989年夏、多くの東ドイツ市民がハンガリー経由で西側に逃れる。
  → 9月 民主化の進んだがハンガリーがオーストリアとの国境を開放。
  → 10月 西側への亡命者の急増。政府、統制とれなくなる。
  → 社会主義統一党a ホネカー 書記長退陣。
  同 年11月 政府、出国の自由を自由化発表、b 「ベルリンの壁」 開放。
  → 市民の手によって壁が壊され、東西ドイツ間の自由な往来が可能となる。
ベルリンの壁解放

B ベルリンの壁 の開放

C 1989年 ▲a 東欧革命 の展開
・b ハンガリー  1月、複数政党承認など民主化始まる。9月、オーストリアとの国境を開放。
・c ポーランド  6月 東欧初の自由選挙でd 連帯 が圧勝。
  9月 非共産党政権のマゾビエツキ内閣成立。 → 90年、e ワレサ 大統領就任。
・f チェコスロヴァキア  11月 共産党フサーク政権倒れ、 ハヴェル 大統領就任。
  → 93年  連邦制が解体 され、チェコとスロヴァキアに分離。
・g ブルガリア  共産党のジフコフ政権倒れ、民主化進む。
・h ルーマニア  12月 独裁者i チャウシェスク 政権、倒される。
 まとめ:東欧諸国の革命で実現したこと
 ・j 社会主義体制にかわり市場経済、複数政党制による議会制度の導入などの民主化を実現させた 
 ・k 社会主義圏が解体したことによって、東西冷戦が終わった 
  → 1989年12月 米ソ首脳によるl マルタ会談 で、m 冷戦の終結 を宣言。(前出)
 ドイツ統一 
・東ドイツの自由選挙で、早期統一を主張する連合党派が勝利。
・1990年3月 東西ドイツ統一条約成立。 10月3日に正式に統一。
 背景:西ドイツがアメリカ、イギリス、フランスの同意を得、ソ連も経済援助と引き替えに統一承認。
 内容:a 西ドイツが東ドイツを吸収する形で統一された。 
  = 統一国家b ドイツ連邦共和国 となる。首都はベルリン。首相はコール(前出)。
E 社会主義圏の消滅
・▲a アルバニア  1990~91年 イタリアへの大量脱出。91年 新憲法で社会主義放棄。
・1991年 b ソヴィエト連邦 の崩壊(前述)
  → c コメコン とd ワルシャワ条約機構 いずれも解消される。

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 ユーゴスラヴィアの解体 
・1980年 a ティトー 大統領死去 → 経済不振と民族・宗教対立が表面化。
・1991年6月 b クロアチア ・c スロヴェニア 独立宣言、セルビア人がそれを認めず。
  → d ユーゴスラヴィア内戦 勃発。
      9月 e マケドニア も分離独立。
・1992年 f ボスニア・ヘルツェゴヴィナ 独立宣言。
  → g セルビア ・h モンテネグロ 新ユーゴスラヴィア連邦を結成する。
  → i ボスニア内戦 に突入。セルビア軍によるムスリム人に対する 民族浄化 が行われ非難起こる。
・1995年 アメリカ軍主力のj NATO 軍、セルビア勢力を空爆。 → 和平成立。※補足:
 コソヴォ紛争 
・1998年 アルバニア系住民の独立運動をa セルビア 共和国が抑圧。
 1999年 アメリカ主体のb NATO 軍、人道的介入と称してベオグラードなどを空爆。
  → a セルビア 共和国のミロシェヴィッチ政権、選挙で倒れ、和平の機運進む。
H 東欧の最近の動き
・a NATOの東方拡大  以下の諸国が加盟 → 全欧州の安全保障機構となる。
 1999年 チェコ・ポーランド・ハンガリー
 2004年 エストニア・ラトヴィア・リトアニア・スロヴァキア・スロヴェニア・ルーマニア・ブルガリア
 2009年 クロアティア・アルバニア
・b ヨーロッパ連合(EU) の拡大 27カ国体制となる
 2004年 c バルト三国とポーランド・チェコ・スロヴァキア・ハンガリー・スロヴェニア 
 2007年 d ルーマニア・ブルガリア 
・▲新国家の誕生
 2003年 新ユーゴスラヴィア連邦を解消して、セルビア=モンテネグロの二国連合国家となる。
 2006年 e モンテネグロ が独立。ユーゴスラヴィア連邦、完全に消滅する。
 2008年 f コソヴォ共和国 独立宣言。ロシア、セルビアは未承認。国連にも未加盟。
I ▲ ロシア連邦 と旧ソ連圏の動き
・2000年 a プーチン 大統領 就任。
  国内経済の安定と政権の強化に努める。 → 新興財閥の解体、石油・ガス資源の掌握などに成功。
  b チェチェン紛争  1994年から続く。強硬姿勢をとり軍事作戦を再開。
・2003年 c グルジア のバラ革命 経済悪化に伴う混乱でシュワルナゼ大統領辞任。
   → 親欧米派のサアカシュヴィリ大統領が新大統領に選出される。
     ロシア系住民の多いアブハジア、南オセチアの分離運動起こる。
・2004年 d ウクライナ  オレンジ革命  民主的な大統領選挙を実現。ロシアの影響弱まる。
   → ロシアとの対立強まる。
  同 年 チェチェンでイスラーム過激派によるベスラン学校占拠事件起きる。プーチン政権が軍事制圧。
・2008年 ロシア、メドベージェフ大統領就任。a プーチン は首相として影響力を残す。
 2008年 c グルジア が南オセチアに侵攻。ロシアも反撃。e グルジア問題 の深刻化。

ソ連崩壊後の新しい東欧諸国

ソ連崩壊後の新しい東欧諸国

 旧ソ連
  a. エストニア     b. ラトヴィア  
  c. リトアニア     d. ベラルーシ  
  e. ウクライナ     f. モルドバ   
  
 旧チェコスロヴァキア
  g. チェコ       h. スロヴァキア 
  
 旧ユーゴスラヴィア
  i. スロヴェニア    j. クロアチア  
  k. ボスニア・ヘルツェゴヴィナ 
  l. セルビア      m. モンテネグロ  
  n. マケドニア     o. コソヴォ 
   oは未承認国多く、国連にも未加盟。


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ウ.アジア・アフリカ社会主義国の変動
1.中国
 文化大革命 の行き詰まり 1966年から混乱続く
・1971年 a 林彪事件  b 林彪 、毛沢東の排除を画策し失敗、ソ連に亡命途中、墜落死。
  → c 鄧小平 ら旧幹部の復権。文革派と反文革派の抗争続く。
  → 同年、国連代表権承認される。72年、 ニクソン訪中 。日中国交正常化。
 1973年 毛沢東、d 批林批孔 運動を提唱。四人組による周恩来追い落としがねらいか。
 天安門事件  (第1次)
・1976年1月 a 周恩来 首相の死 → 文化大革命・毛沢東への批判強まる。
  同  年4月4日~5日 a 周恩来 追悼集会に集まった民衆に四人組の指令で軍が発砲。
  → b 鄧小平 、また失脚。文化大革命への民衆の不満強まる。
 文化大革命の終了 
・1976年9月 a 毛沢東 が死去。
  → b 華国鋒 首相、毛沢東未亡人のc 江青 ら、文化大革命指導者(四人組)を逮捕。
 1977年 a 華国鋒 首相が文化大革命の終了を宣言。犠牲者の名誉回復。
 鄧小平 の復権 毛沢東の死後、1977年に復権。 
・1978年 中国共産党11期3中全会 a 改革開放 に転換。華国鋒は自己批判し失脚。
  b 「四つの現代化」 を推進。(周恩来が提起したものを、再提起したもの)
   内容:c 国防・工業・農業・科学技術 の育成をはかる。
   意義:文化大革命による、社会の混乱を修復し、生産を高める方向に転じる。
・国際社会への復帰
 1979年 ▲d 米中国交正常化  アメリカ(カーター大統領)、e 台湾 と断交。
  同  年 ▲f 経済特区 を設置。外国資本と技術を導入し合弁企業の税制優遇。
  同  年 カンボジア問題で対立し、ベトナムに侵攻、g 中越戦争 を起こす。
  同  年 h 中ソ友好同盟相互援助条約 失効をソ連に通告。翌年失効。
鄧小平

D 鄧小平  

 鄧小平政権   1981年~1994年 
・1981年 ▲a 胡耀邦 党主席、b 趙紫陽 首相。c 鄧小平 は最高実力者となる。
 1982年 憲法を改正し、「四つの現代化」を国家目標として掲げる。
 1985年 d 人民公社の解体 、農業生産の請負制、外国資本、技術の導入による開放経済、
       国営企業の独立採算制など、e 社会主義市場経済 化を進める。
    → ソ連との関係修復。一方で保守派との対立激しくなり、87年a 胡耀邦 解任。
 1989年 ソ連のf ゴルバチョフ 大統領の訪中 →関係修復され、中ソ対立が解消される。
 天安門事件  (第2次)
 情勢 急速な近代化政策で市民の権利意識向上するも、政治改革は進まず。そこにa 東欧革命 の動き伝わる。
・b 1989 年6月 北京で学生、労働者の「動乱」起こる。戒厳令が敷かれ、軍隊が出動して鎮圧。
  原因:c 「民主化なき経済改革」への不満、共産党一党支配に対する民主化要求が高揚した。 
  d 趙紫陽 は解任、e 江沢民 総書記となる。アメリカなど、共産党政府の人権抑圧を批判。
  ※補足:

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 江沢民  の政治 1993年より国家主席。
・1990年 ASEAN諸国と国交正常化。
 1993年 ▲憲法を改正。a 社会主義市場経済 ※を基本方針として盛り込む。
   ※b 政治面では共産党一党独裁を維持しながら、経済面では市場経済化を進める。 
・1997年7月 鄧小平死去。イギリスよりc 香港返還 される。→▲d 一国二制度 をとる。
 1999年 ポルトガルより▲e マカオ返還 される。
・価格の自由化、国営企業の民営化など市場経済導入を推進、積極的にIT化を進める。
  → 中国経済、急速に発展。
・現在の中国 2001年 ▲a WTO(世界貿易機構) 加盟。
 2003年 b 胡錦涛 主席となる。
 2005年7月 対米輸出の増加 → アメリカの要請で、▲通貨c 元 を切り上げ。
 2008年 北京オリンピック開催。
 2010年 上海万博開催。 同年10月 民主化運動指導者で獄中の劉暁波、ノーベル平和賞受賞。
 2011年3月 GDP、日本を抜いて世界第2位となる。
2.アジア・アフリカ諸国
A. モンゴル国  ソ連解体に伴い、社会主義体制から離脱。
・1990年 モンゴル人民共和国、自由選挙を実施。
 1992年 国名をモンゴル国とする。
B. ベトナム  ベトナム戦争の終結 → 76年、ベトナム社会主義共和国。
・中国との対立
 1978年 a カンボジアに侵攻 、ポル=ポト政権を排除。 → 中国と対立強まる。
 1979年 中国軍が越境、b 中越戦争 起こる。 → 経済悪化、南部ベトナム人の難民化。
・c ドイモイ(刷新) 政策への転換
 1986年 市場開放政策に転換。原油生産など増加。経済の活性化を目指す。
 1995年 d ASEAN に加盟。さらに アメリカとの国交正常化 に踏み切る。
C. カンボジア 
・a ポル=ポト政権  1976年 成立。 民主カンプチアと称す。
   → 農業を基盤とした共産主義社会の建設を強行、都市住民の多数が虐殺される。
 1978年 b ベトナム軍 が、反ポル=ポト派を支援してカンボジアに侵攻。
・内戦の激化
 1979年 首都プノンペンを制圧。カンボジア人民共和国成立(c ヘン=サムリン 元首)。
   → 中国、民主カンプチアを支援し、ベトナムに侵攻(d 中越戦争 )。
   政府軍(ヘン=サムリン派)とシハヌーク派・ポル=ポト派など三派が対立。
   e カンボジア内戦 が続く。→カンボジア難民、タイなど周辺諸国に大量流出。
 1989年 ベトナム軍、カンボジアから撤退。
・和平の成立
 1991年 パリ和平会議でf カンボジア和平協定 調印。各派が最高国民評議会を組織。
   → 国連のg カンボジア暫定統治機構(UNTAC) (代表明石康)が監視。
 1993年 総選挙実施 国連のh PKO活動 による運営 日本の自衛隊が参加。
   → カンボジア王国(i シハヌーク 国王)成立、議会政治(首相フン=セン)始まる。
 1998年 ポル=ポト死去。ポル=ポト派壊滅する。
D. エチオピア 
・a ハイレ=セラシェ 皇帝の専制のもと、貴族制度を維持。
・1974年 b エチオピア革命  軍が蜂起、皇帝廃止、社会主義を宣言。経済改革に失敗。

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 1991年 エリトリア解放戦線など反政府勢力により社会主義政権倒される。
E. 朝鮮民主主義人民共和国  a 金日成 独自の社会主義= 主体(チュチェ)思想 を掲げる。
 1980年代 韓国とも対話を模索。(韓国については17章3節参照)。
  一方で83年のラングーン事件、87年の大韓航空機事件などテロ、破壊工作を行う。
 1991年 南北同時にb 国際連合加盟 
・c 金正日 、 1994年a 金日成 死去にともない後継者として権力握る。98年、国家元首。 
 2000年6月 韓国大統領d 金大中 の北朝鮮訪問。初の両首脳会談。
 2002年9月 日本の小泉首相、北朝鮮訪問。 平壌宣言 を発表。北朝鮮が日本人拉致を認める。
 2003年1月 e 核拡散防止条約(NPT) からの脱退を宣言。 IAEA の査察を拒否。
   → 北朝鮮の核開発問題で、米・中・韓国・ロシア・日本とのf 六者協議 が始まる。
 2003年 北朝鮮、日本人拉致被害者を帰国させる。
・核開発問題
 2005年 北朝鮮、核開発を認める。7月 f 六者協議 を再開、核放棄で合意。
   → アメリカの金融封鎖に反発し、協議を離脱。
 2006年10月9日 g 核実験 を強行 → 国連安保理の非難決議。
 2010年11月 北朝鮮、韓国の延坪島を砲撃。朝鮮戦争停戦以来の直接砲撃を加える。
F.▲ チベット問題  1951年 中国軍、チベット東部に進駐。
・a チベットの反乱 が起きる。1959年。
  → 60年 b ダライ=ラマ14世 、インドのダラムサラにチベット亡命政府を樹立。
・c 中印国境紛争 起きる。1962年 (以上、前出)
・中国による統治
 1965年 中国の「チベット自治区」成立。社会主義化を進める。
 1989年 亡命政府b ダライ=ラマ14世 にノーベル平和賞。
 1990年代 中国=インド関係の修復進む。
 2003年 インドのマジパイ首相の訪中。チベットを中国領と見なす。
 2008年3月 チベットで暴動起こる。
・同年 中国西部のd 新疆ウイグル自治区 でも、分離独立運動によるテロ事件が起きる。
G.▲ 中央アジア  1991年 旧ソ連の5ヵ国が独立宣言。
ウズベキスタン共和国 カザフスタン共和国 キルギス共和国 タジキスタン共和国
  トルクメニスタン共和国 の西トルキスタン5ヵ国 → CIS(独立国家共同体)に加盟。
補足:中央アジア諸国の現状
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ア.ペレストロイカとソ連の崩壊
イ.東欧社会主義圏の解体
ウ.アジア・アフリカ社会主義国の変動

目 次

序章 先史の世界

1章 オリエントと地中海世界

2章 アジア・アメリカの文明

3章 東アジア世界

4章 内陸アジア世界

5章 イスラーム世界

6章 ヨーロッパ世界の形成

7章 諸地域世界の交流

8章 アジア諸地域の繁栄

9章 近代ヨーロッパの成立

10章 ヨーロッパ主権国家体制

11章 欧米近代社会の形成

12章 欧米国民国家の形成

13章 アジア諸地域の動揺

14章 帝国主義と民族運動

15章 二つの世界大戦

16章 冷戦と第三世界の自立

17章 現代の世界