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アメリカ・ベトナム国交回復

1995年、民主党クリントン大統領政権のアメリカと、ドイ=モイ(刷新)路線に転換したベトナムとの間で、ベトナム戦争以来の敵対関係に終止符を打ち、国交を回復した。

 1995年7月11日、アメリカ大統領クリントンベトナムとの国交回復を発表した。1975年にベトナム戦争の戦闘が終わってからちょうど20年目であった。
 アメリカとベトナムの国交回復交渉は、ベトナム・ラオス・カンボジアで2200人を超すアメリカ兵が行方不明となったままだったので難航していたが、90年代になって、ベトナムへの進出を願う産業界の圧力を受けたアメリカ政府と、開放路線に転じてドイ=モイを進め、アメリカ企業の誘致を望むベトナム政府の利害が一致し、急速に進んだ。ベトナム政府は行方不明のアメリカ兵の捜索にも協力すると表明した。

Episode 元国防長官の「衝撃の告白」

 1995年7月のベトナムとの国交回復の数ヶ月前、アメリカに衝撃が走った。マクナマラ元国防長官が『回顧録』の中で、ベトナム戦争が間違った戦争だったと述べたのである。ケネディ大統領の時、フォード社社長だったマクナマラは国防長官に就任し、その後一貫してベトナム戦争の指揮に当たり、ベトナム戦争は「マクナマラの戦争」とまで言われていた。辞任後は世界銀行総裁に就任したが、ベトナム戦争には沈黙を守っていた。その彼が20年間の沈黙を破って、戦争は間違いだったというのだから、反響は大きかった。その中で彼は、65年前後の早い段階で、勝利の見込みが薄いことに気づいていたと述べた。そして20年間沈黙を守ったのは、ジョンソン大統領に対する責任ゆえでだったと語った。しかし、彼が辞任してから5年間も戦争は続き、多くの兵士やベトナム人が死んだのだ。マクナマラの言いたかったことは、ベトナム戦争は目的においては正しかったが、とられた手段が間違っていたということであろうが、このような反省はベトナム戦争後のアメリカ軍が、陸上部隊を増員してゲリラ戦に巻き込まれることを避け、大規模な空爆で一点集中攻撃を行い、敵に恐怖感を与えるという戦術をとるようになったことに現れている。しかしあるベトナム人はマクナマラ回顧録を評して、ベトナム人の苦悩についてまったく触れていないと言っているとおり、やりきれなさの残る「回顧」であった。<西崎文子『アメリカ外交とは何か -歴史のなかの自画像』2004 岩波新書 p.176-178 などによる> 
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