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光州事件

1980年、韓国の光州市で全斗煥による軍事クーデターに抗議した学生・大衆運動を軍が弾圧した。

 韓国で、1980年5月、ソウルでの全斗煥らの軍部クーデターに抗議した韓国南部の光州市の大学生・市民と軍が衝突、学生・市民は一時市の中央部を抑えたが、軍による全面的な弾圧によって多数の犠牲者を出した。
 全羅南道の光州は、朴正煕大統領の維新体制の下で学生運動や在野運動、農民運動の有力な拠点となっていた。その他にキリスト教系の農民会やYMCAなどの宗教団体、韓国アムネスティ、青年学生団体などが組織され、国立の全南大学は全国的な学生運動の拠点の一つだった。
 1979年の朴大統領の死去を機に始まった民主化運動「ソウルの春」に呼応して、光州でも民主化の動き多強まった。翌80年5月16日の学生・市民のデモは5万人にふくれあがりあがった。翌日、それらの動きを封じるように、ソウルでは全斗煥らの軍部がクーデターを決行、光州でも警察は一斉に学生逮捕に乗りだした。さらに18日には学生と軍隊が衝突、市民も学生を支援して光州市中は騒乱状態となった。学生と市民は市の中央部の噴水台を占拠して自治共同体を組織して執行部を選出し、最後まで戦うことを決議した。しかし、5月26日、市民軍に対して武装ヘリを動員した空挺部隊が鎮圧に乗りだし、死者は民間人で168人、軍人23人、警察4人、負傷者は4782人、行方不明406人という大きな犠牲をだして終結した。背景にはソウルなど韓国北部地域の人々の、全羅南道など「湖南人」に対する地域的偏見があるという。<文京洙『韓国現代史』2005 岩波新書 p.142-147>
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