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第1章 オリエントと地中海世界

第2節 ギリシア世界 解説と補足

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ア.地中海世界の風土と人びと ★ノート-ア
イ.農耕・牧畜の開始と国家の誕生 解説2 ★ノート-イ

解説:ミケーネ文明の滅亡

 ミケーネ文明は一般にギリシア人の一派アカイア人が、ギリシア本土のミケーネなどに形成した青銅器文明で、独自の線文字Bを使用していた、とされる。前12世紀に突然消滅するが、その原因はかつては「ドーリア人の南下によって滅ぼされた」とされていたが、現在は「海の民」の侵攻を受けたため、という説が有力である。「海の民」については前節のオリエントを参照。また同時に、ミケーネ王国内部の対立や、飢饉や疫病なども考えられているが、まだ定説はない。

解説:暗黒時代とは

 暗黒時代は、「文明が破壊された時代」で線文字Bなどの文字も忘れられてしまったため名付けられたが、最近ではけっして「暗黒」だったのではなく、新しい鉄器文化への移行期であり、同時にポリス社会が形成された時期であったととらえ、「初期鉄器時代」と言われるようになっている。

★まとめ ギリシア文明の時期区分

ギリシア文明は、前半の(Ⅰ) エーゲ文明 と、後半の狭い意味の(Ⅱ) ギリシア文明 とに分けられる。
(Ⅰ)は、前3000年紀のa クレタ文明 と、前16~12世紀のb ミケーネ文明 に分けられる。
 -この間の前12~前9世紀の400年間が、いわゆるc 暗黒時代 =鉄器文化への移行期--
(Ⅱ)は、前8~6世紀のd アーカイック期 と、前5~4世紀のe 古典期 に分けられる。
 以上の5期に分けることができる。
ウ.ポリスの成立と発展 ★ノート-ウ

補足 オリンピア競技会

オリンピア競技会は前776年に始まったとされている。祭事中は「神聖な休戦」が守られ、ポリス同士の戦争は休戦した。この行事はローマ時代まで継承されたが、ローマ帝国でキリスト教が国教とされた後の393年に、異教の行事として停止された。近代オリンピックは、フランス人のクーベルタン男爵の提唱によって、第1回が1896年にアテネで開催された。
エ.市民と奴隷 ★ノート-エ

補足:奴隷

 アリストテレスは、「人間はポリス的動物である」と定義している。一方で、その著『政治学』の中では奴隷制度を肯定している。アリストテレスの論拠は、ポリス市民が完全な人間であり、奴隷は支配されるように生まれついた不完全な人間であるから、市民が奴隷を所有することは当然のことでありというものであった。またそのような奴隷を獲得する戦争は、狩猟で獣を捕らえるのと同じ自然な行為だ、とも言っている。古代ギリシアにおいては、奴隷の存在は特に疑問視されることはなかった。

オ.アテネとスパルタ ★ノート-オ

解説:「スパルタ教育」の実態

 「スパルタ教育」とは、軍国主義のもとで、強い市民を育てる手段だった。子供が生まれると、部族員の集まる集会所で検査され、健康と体力に弱点のあるものはタイゲトス山麓の穴に落とされた。これは、子供は親の私物ではなく、国家のものである、という考え方から生まれた制度である。子供は7歳になると国家の養育所に入れられて、少年隊に編入され、共同生活の中で、思慮深さとか勇気・忍耐など、長じてスパルタ市民として有能なものになるための「良さ」すなわちアレテーをつくりだすように仕向けられる。また、市民の子供には「ヘイロータイ殺し」といって、道でであったヘイロータイを殺すことが勇気のある行いとして奨励された。……
カ.民主政へのあゆみ ★ノート-カ

補足:重装歩兵

 平民は武具(かぶと、胸当て、楯、長槍など)を自弁して武装し、重装歩兵(ポプリーテス)と言われた。彼らは戦場ではこの絵(当時作られた壺絵に描かれている場面)のように、楯をそろえて数列の横隊を作って密集した。そのような密集部隊をファランクスという。この重装歩兵密集部隊(ポプリーテス=ファランクス)は、それまでの貴族の騎馬による戦闘に替わってポリスに基本戦術となり、武器を自弁するだけの財力のある中間層市民(平民)がそれを担うようになった。その結果、彼らのポリスにおける発言力が強まったと考えられる。

解説:僭主の末路

 ペイシストラトスの死後、その子ヒッピアスが僭主となったが、無能であるのに権力だけ行使しようとし、ついに決起したアテネ市民たちによって追放されてしまった。ヒッピアスはペルシアに亡命し、アテネに復讐しようとしてダレイオス1世にギリシア遠征を吹き込んだ。それがペルシア戦争の原因の一つだった。
キ.ペルシア戦争とアテネ民主政 ★ノート-キ

解説:ペリクレスの演説

 ペリクレスがペロポネソス戦争開戦1年目の戦死者国葬の際に行った演説は、トゥキディデスの『戦史』に詳しく記録されている。それは、民主政治の神髄を言い当てているとして、古来有名な演説である。
「われらの政体は他国の制度を追従するものではない。ひとの理想を追うのではなく、ひとをしてわが範を習わしめるものである。その名は、少数者の独占を排し多数者の公平を守ることを旨として、民主政治と呼ばれる。わが国においては、個人間に紛争が生ずれば、法律の定めによってすべての人に平等な発言が認められる。だが一個人が才能の秀でていることが世にわかれば、無差別なる平等の理を排し世人の認めるその人の能力に応じて、公けの高い地位を授けられる。またたとえ貧窮に身を起そうとも、ポリスに益をなす力をもつ人ならば、貧しさゆえに道をとざされることはない。われらはあくまでも自由に公けにつくす道をもち、また日々互いに猜疑の眼を恐れることなく自由な生活を享受している。よし隣人が己れの楽しみを求めても、これを怒ったり、あるいは実害なしとはいえ不快を催すような冷視を浴せることはない。私の生活においてわれらは互いに制肘を加えることはしない、だが事公けに関するときは、法を犯す振舞いを深く恥じおそれる。時の政治をあずかる者に従い、法を敬い、とくに、侵された者を救う掟と、万人に廉恥の心を呼びさます不文の掟とを、厚く尊ぶことを忘れない。・・・」
ク.ポリスの変質 ★ノート-ク

補足:前4世紀初めの経過

コリントを中心とした連合軍とスパルタが戦うa コリント戦争 が起こる。
 → b ペルシア帝国 の仲介で和約(大王の和約)。ペルシア帝国の介入強まる。
前371 c テーベ  エパミノンダスの指揮でスパルタを破り、一時ギシアを制圧。

補足:対マケドニアの二論

・アテネのデモステネスは、テーべと連合し、マケドニアに抵抗することを主張した。=主戦論
・同じくアテネの哲学者のイソクラテスはマケドニアのフィリッポス2世への服従を主張した。=非戦論
ケ.ヘレニズム時代 ★ノート-ケ

地図:ヘレニズム3国

ヘレニズム3国
  •  アンティゴノス朝マケドニア 
  •  セレウコス朝シリア 
  •  プトレマイオス朝エジプト 

  •  アンティオキア 
  •  セレウキア 
  •  アレクサンドリア 
  •  ヘカトンピュロス 
  •  バクトラ 
  •  サマルカンド 

コ.ギリシアの生活と文化 ★ノート-コ

解説:オリンポス12神

ゼウス(主神) ヘラ(ゼウスの妻) ポセイドン(海と大地の神) アレス(軍神) アポロン(太陽神)
ヘファイストス(火の神) ヘルメス(商業の神) アテナ(知恵の女神) アルテミス(月の神)
アフロディテ(美の女神) ヘスティア(かまどの女神) デメテル(農業の女神)

解説:ギリシアの演劇

 民主政治の全盛期のアテネではさかんに演劇が上演された。毎年3月のディオニュッソス祭(大ディオニュシア祭、酒神ディオニュッソスの祭)の時に、まず三日間、三人の作者が各一日を受け持ち、3つの悲劇と一つの滑稽劇を競演し、残りの1日で一人1作の喜劇が五本競演され、優秀作が決められた。劇場は野外の円形劇場で仮面をつけ、合唱隊(コロス)がついた。有力市民は合唱隊の費用を公共奉仕することが名誉とされ、また一般市民には観劇手当(テオリコン)が支給された。

補足:イオニア自然哲学

 イオニア自然哲学には、他に「万物は流転する」と説いたヘラクレイトス、原子(アトム)の存在を見通したデモクリトスなどがいる。また、医学では「医学の父」と言われるヒポクラテスが活躍していた。

解説:アテネの学堂

 図は、ルネサンス期のラファエロがローマのヴァチカン宮殿署名の間に描いた壁画『アテネの学堂』の一部。その中央に描かれている、左がプラトン、右がアリストテレスである。ラファエロは同時代の画家をその中に描き込んでおり、プラトンはレオナルド=ダ=ヴィンチ、アリストテレスはミケランジェロをモデルにしたという。この絵では、二人の手の位置の違いに注目する。プラトンは天上を指さしているが、それは真理は天上のイデア界にあるという彼のイデア論を示しており、アリストテレスが手を下に向けて大地を指しているのは、真理は現実の中にあるというその思想を現している。この図に見られるように子弟間の哲学には大きな違いがあった。

解説:ヘレニズム彫刻

ミロのヴィーナス

 ミロのヴィーナス  

ラオコーン

 ラオコーン 

サモトラケのニケ

c* サモトラケのニケ 


解説:ムセイオン

 ムセイオンは学問の神ミューズからつけられた名称で、後の英語の museum の語源である。プトレマイオス朝の都アレクサンドリアに建設された王立研究所(もしくは学術センター)で、大図書館を併設していた。エウクレイデスやアルキメデスら、ヘレニズム時代の多くの自然科学者や文献学者がムセイオンで研究した。エラトステネスはこの図書館の館長であった。前48年、ローマのカエサルがポンペイウスを追ってエジプトに遠征したときの戦火によって大図書館は炎上してしまった。ムセイオンそのものはその後も存続し、最終的には7世紀にイスラーム勢力がエジプトを征服したときに破壊されたと言われている。

第1章 第2節 ギリシア世界 解説 終わり
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