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ロゼッタ=ストーン

古代エジプト、プトレマイオス朝の前2世紀初めの遺物。ナポレオンのエジプト遠征の時に発見され、シャンポリオンのヒエログリフ解読のきっかけとなった。現在、ロンドンの大英博物館に所蔵されている。

ロゼッタ=ストーン
ロゼッタ=ストーン
大英博物館蔵

発見

 1799年7月ごろ、ナポレオン率いるフランスのエジプト遠征軍の参謀のブーシャールが、アレクサンドリア近郊のラーシードという町で兵士に堡塁の造築作業をさせていたとき、兵士たちが大きな黒い玄武岩に古い絵文字がきざまれているのを発見した。ラーシードの町をヨーロッパ人はロゼッタとよんでいたので、この石はロゼッタ=ストーン Rosetta Stone と言われるようになった。はじめカイロのエジプト研究所-ナポレオンの遠征を期に設立された研究所-に入れられたが、1801年9月、アレクサンドリアでフランス軍がイギリスに降伏したため、フランスが獲得したほかの古代エジプトの文化財ごとイギリスに引き渡され、ロンドンに送られ、現在では大英博物館の収蔵品となっている。

解読

 ロゼッタ=ストーンの文字の刻印された面は三段に分かれ、上段に神聖文字(ヒエログリフ)、中段に民用文字(デモティック)、下段にギリシア文字が記されていた。ロゼッタ=ストーンがロンドンにもたらされると、イギリスや他のヨーロッパ諸国の学者が、上段のヒエログリフと中段、下段は同じ内容であろうという仮説を立てて、ギリシア語部分をもとにしてヒエログリフの解読にあたったが、ヒエログリフの部分の破損が大きかったこともあって成功しなかった。
 そのような中、フランスのシャンポリオンは、ロゼッタ=ストーンの写本をもとに研究を続け、1822年、解読に成功したと発表した。彼はそれまでの解読者がヒエログリフは表意文字(文字の形に意味がある文字)と思い込んでいたのに対し、表音文字であると仮定して、プトレマイオスとクレオパトラの固有名から文字の音価をさぐりあて、古代ギリシア語に近いコプト語の知識を生かして解読に成功したのだった。<A・ロビンソン/片山陽子訳『文字の起源と歴史』2005 創元社 p.17-35 などによる> → ヒエログリフの解読

内容

 ロゼッタ=ストーンは、プトレマイオス朝の紀元前196年ごろにプトレマイオス5世の頌徳碑(徳をたたえる石碑)としてつくられた石碑の一部であることが判っている。プトレマイオス朝はヘレニズム諸国の一つでギリシア系であったが、王は統治に当たってファラオと称するなど、エジプトの伝統を守った。従ってこの時代にはエジプト文字とギリシア文字が併用されていた。