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ミノス王

クレタ王国の伝説上の王。クノッソス遺跡がその宮殿跡と言われている。

 エーゲ海の南にあるクレタ島に栄えたクレタ王国の伝説上の王。その王宮がクノッソスの遺跡だとされており、クレタ文明をミノス王の名からミノス文明あるいはミノア文明と言うこともある。1900年、イギリスのエヴァンスクノッソス遺跡を発掘したことによってミノス王も実在した可能性が出てきた。

Episode ミノス王とクノッソスの迷宮

 ギリシア神話によれば、英雄時代にクレタ島を中心に海洋にミノス王という王が君臨していたという。ミノス王はギリシアの最初に現れる支配者で多くの伝説が残っている。王は立法者としてもすぐれていたが、その后が、海神ポセイドンが王に送った美しい牡牛とまじわってミノタウロスという怪物を生んだ。その頭は牛、体は人間であったという。困った王はアテネの名匠ダイダロスに命じて、いったん入ったら出られないような迷宮をつくらせ、ミノタウロスをその奥に住まわせることにした。ミノスの息子の一人がアテネで殺されたことからアテネと戦争になり、アテネは九年ごとに七人の若者と七人の娘をミノタウロスの餌食としてクレタに送らねばならなくなった。アテネの王子テーセウスはみずから志願してこのいけにえの一行に加わり、ミノス王の娘アリアドネと親しくなって糸玉をもらい、迷宮の奥まで進んでミノタウロスを殺し、糸をたよりに出口に戻ることができた。テーセウスはアリアドネをつれて帰国の途についた※。ミノタウロスの幽閉された迷宮をラビリントスといったことから、英語の labyrinth(迷宮)という語が生まれた。エヴァンスが発掘したクノッソスの宮殿遺跡がこの迷宮であり、ミノス王も実在の王であった可能性が高い。<村川堅太郎ら『ギリシア・ローマの盛衰』1993 講談社学術文庫 p.40>
※ミノス王の娘アリアドネは、テーセウスとともにナクソス島まで来たが、そこでテーセウスに置き去りにされてしまう。そこに来合わせたディオニューソス(豊穣の神、バッカス)がアリアドネに恋して妻としたという。プルタルコスの伝えるところによると、アリアドネはみごもったままナクソスで棄てられ、産褥で死んだとも言う。<高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』1960 アリアドネーの項>
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