ミケーネ文明
およそ前1600年ごろからギリシア本土ミケーネを中心に形成された文明で、古代ギリシアの青銅器文明であるエーゲ文明の前半をクレタ文明と言うのに対し、その後半をいう。前1200年頃に鉄器が使用されるようになったことにより、消滅したと考えられる。ミュケナイ時代ともいう。
およそ前1600年頃~1200年の間に、北方からギリシア本土とエーゲ海域に南下してきたギリシア人の第一波とされるアカイア人が、ペロポネソス半島のミケーネなどを中心に高度な青銅器文明を築き、次第に先行のクレタ文明を征服しながら古代文明を形成していった。これがエーゲ文明の後段にあたるミケーネ文明である。その成立時期は、前1400年頃とする説もある。
ミケーネ文明の発見
1876年からのシュリーマンのミケーネ遺跡の発掘によってその内容が明らかになってきたもので、王宮跡には巨大な石造建築物の獅子門などがあり、また黄金のマスクなどの金製品が多数出土した。それによってこの遺跡はミケーネ王国の王都跡であることが明らかになった。ミケーネ文明期の社会
20世紀に入り、ミケーネ遺跡やティリンス、ピュロスなどの遺跡から大量の線文字B(ミケーネ文字)資料が発見された。線文字Bはギリシアにおいては忘れ去られていたが、1953年にイギリスのヴェントリスによって解読され、その結果、ミケーネ文明期の社会のあり方がかなりの程度明らかになってきた。それによるとミケーネ王国の王は専制的な権力を持ち、周辺から税を納めさせる貢納王政をおこなっていた。ギリシア史の英雄時代
また、ホメロスの叙事詩『イリアス』に物語られているトロイア戦争のあったのもこのじだいであったことが、シュリーマンによるトロイア遺跡(現在はトルコ領)の発掘によって明らかになってきた。『イリアス』に物語られているアキレウスやオデュッセウスなどの英雄は実在の人物とは言えないが、神々ではない、人間の英雄として伝承されており、ギリシア人にとってこの時代が「英雄時代」として捉えられていたことがわかる。「英雄時代」という見方はヘシオドスの『労働と日々』にも見られるひとつの歴史観で会った。 ただし、ホメロスやヘシオドス自身は、次の前8世紀のアーカイック期に現れた口承詩人であり、彼らはミケーネ文明期の説話の伝承者であった、ミケーネ文明の消滅
このミケーネ文明は、前1200年頃、アッティカ地方を除いてその都市がいずれも破壊され、文明としても消滅した。ミケーネ文字(線文字B)も含めこの文明は忘れ去られ、ギリシアは暗黒時代に入った、とされている。この大きな変革の原因は、従来はドーリア人などのギリシア人第二波の南下によるとされていたが、現在ではそれは否定され、最近の研究では「海の民」という異民族の侵攻を受けたためではないか、という説が有力になっている。つまり、ドーリア人によるミケーネ文明破壊説は否定されているので注意しよう。暗黒時代からアーカイック期へ
次の暗黒時代とは、文字資料が途絶えたことによって資料的に知ることができないという意味であって、社会が停滞した時代という意味ではない。むしろこの前1200年頃から前800年頃までは、青銅器文明から鉄器文明への移行期であり、次のアーカイック期(前8~6世紀、ポリスの発展と植民活動の時代)、古典期(前5~前4世紀末、ギリシア文明の全盛期)へと繋がるギリシア文明の転換期であった。