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衆愚政治

古代ギリシアのアテネで、ペロポネソス戦争の時期に現れた民主政治の混乱。まもなく民主政に復帰しており、ポリス民主政は維持された。

 オクロクラシー。一般に、アテネ民主政は、ペロポネソス戦争を境にして、無定見な大衆に迎合した扇動政治家(デマゴーゴス)が幅をきかす衆愚政となり衰退した、と言われていた。以下に説明するように現在ではこの用語は用いられなくなっている。、 → ポリスの衰退

歴史叙述としては正しくない「衆愚政治」

 「衆愚政」という言葉には「気まぐれな民衆が群集心理によって国政を左右する悪質な衆愚政治」というマイナスな評価を含んでいる。しかし、前4世紀のアテネを、「衆愚」という価値判断のあからさまな用語で評価することは問題があり、客観的ではないので、現在では使用すべきでない。この言葉は古代では使われたが、現在の歴史叙述では使われなくなっていることに注意する必要がある。<橋場弦『丘のうえの民主政』1997 東大出版会>
 たしかに前4世紀のアテネを「衆愚政」と断定するのは客観的ではなく、事実とは認められないので、この時期の政治状況を「衆愚政治」というのは間違っている。最近の世界史教科書でも、衆愚政治・デマゴーゴスといった用語は削除されつつあるようだ。また関連して、ポリス者会を支えていた市民が没落して兵役義務を負えなくなり、ポリスの防衛は傭兵が行うようになった、という説明も、現在は実証できないとされるようになった。
 このように古代切り使者の民主政治の衰退を「衆愚政治」の横行や「デマゴーゴス」の出現として説明するのは間違えているといえる。ただ、民主政治の中にひそむ「衆愚政」の危険性は認識すべきではないだろうか。「民衆の望むことを実現することは良いことだ、たとえ手続きをふまず、ルールに反していても・・・」というノリで「改革」が進み、憲法や法律がないがしろにされている現代の日本の政治状況をみれば、「ポピュリズムと言われる大衆迎合政治」は批判されるだおう。「衆」=「愚」とする用語は用いるべきではないが、「ウソ=フェイク」で大衆を扇動する政治は過去にも、そして2020年代にも横行していることに対しては十分注意しなければならない(デマゴーゴスの項を参照)。<2024/4/28記>