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デマゴーゴス

古代ギリシアの民主政末期に現れた扇動政治家。アテネではペリクレスの死(前429年)の後に現れ、ペロポネソス戦争の敗北をまねき、さらにポリス民主政治の衰退に繋がったとされる。

 デマゴーゴス(デマゴゴス、ゲマゴーグとも表記)は、はじめは「民衆指導者」という意味であったが、次第に民衆に迎合し、あおり立てて民衆を動かし、権力にとって都合の良い方向にもっていく「扇動政治家」を意味するようになった。特にペリクレス後のアテネでは、民主政が徹底した反面、そのような扇動政治家が出現しやすい「衆愚政治」の状況になっていった、とされる。デマゴーゴスから、ウソの情報を意味する「デマ」という言葉が生まれた。 → ポリスの衰退

デマゴーゴスの出現

 ペリクレスまでの将軍職やアルコンなどの責任あるポリスの役職に就いた指導者は、いずれも名門の出であり、比較的広い土地を所有する富裕な市民層に属していた。ところが、ペロポネソス戦争の二年目に当たる前429年にペリクレスが亡くなった後に登場したアテネの指導者たちは、そのほとんどが手工業者たちであった。ペリクレスの死後、まず戦争を主導したクレオンは皮鞣しと靴造りを営んでおり、ヒュペルポロスはランプ製造場の経営者、クレオフォンは竪琴造りであった。後に三十人僭主を倒して民主政を回復したとされ、ソクラテスを告発して死に至らしめたアニュトスもまた皮鞣し業者であった。このような人々が政治の表舞台に登場したのはアテネの歴史で初めてのことだった。
 彼らは国政を左右し戦争を指導したが、その権力基盤は民衆の支持にしかなかったので、主導権を握るために、民会で巧みな弁舌をふるい、大衆に迎合せざるを得なかった。また彼らの多くはペリクレスのような地位につかなかったので、責任を取ることもなく、無責任な扇動政治家と見なされた。

クレオン

 代表的なデマゴーゴスとされるクレオンは、ペリクレスの反対派として頭角を現し、その死後、約6年にわたってアテネを主導した。ペロポネソス戦争が長期化し、厭戦気運もひろがったが好戦的な姿勢を崩さず、前425年にはピュロスの戦いで勝利し、講和の好機となったがそれを拒否した。また、デロス同盟の諸ポリスに対しては貢租を倍額にして統制を強めた。前422年にはストラテゴス(将軍)に選出され、スパルタとの決戦に挑んだが、敗れて戦死してしまった。民衆を扇動して戦争に駆りたて、同盟諸国を締め付けてアテネの覇権を守ろうとしたが、その権力を維持するためには戦争を勝利させるしかなかったのであり、クレオンはその戦争で自らの命を落とすこととなった。

参考 デマゴーゴスの時代

(引用)アテナイの国政においては、官職についた者は、任期の終わるごとに執務報告を提出し、自己の責任を明らかにするとともに、国民の批判を受けなければならなかったから、いわゆる官僚政治の悪弊のごときものは生ぜず、国政を指導する者がこのような官職のどれかについていることは、責任ある政治を保証するものなのであるが、デマゴーグが政治の実権を握るに及んで、しばしば政治上の責任の所在が不明となるようなことが起こった。すなわち国策遂行の任に当たる者は常に責任を問われなければならなかったけれども、その国策を決定した者は、それが間違いであった場合にも、その責任を問われなかったのである。たとえば415年にはじまるシシリイ島シュラクサイへのアテナイ軍の遠征は、アテナイ帝国没落の最大の原因となるものなのであるが、この遠征軍の指揮者ニキアスは、この企てに賛成でなかったにもかかわらず選ばれて総司令官となり、シュラクサイ攻略の責任を負わされ、事が成功しないため、国民議会の弾劾を恐れて容易に帰国できず、時機を失して全軍全滅の悲運に会って命を落としたのであるが、しかしすでにスパルタとの長期戦によって種々の無理が生じている時なのにもかかわらず、一部強硬論者の大言壮語に迷わされて、このような大遠征を決定した国民議会は、ついに自己の責任には気づかなかった模様なのである。当時のアテナイの政治は、まさにプラトンが劇場政治と呼んだところのものにほかならず、一切は聴衆の拍手喝采によって決定されたのである。慎重を要する外交財政計画において、かかる政府の危険なことはいうまでもないであろう。特に戦争心理に浮かされた国民大衆が、演説会の興奮した空気のなかで、デマゴーグの煽動演説によって国策を決定するとしたら、その結果は真に恐るべきものであろう。アテナイが勝つべかりし戦争を、三十年の長期戦ののち、まったくの孤立に陥って敗戦したのは、主として外交上の失敗によるのである。<田中美知太郎『ソフィスト』1941初版 1976 講談社学術文庫再刊 p.117-118>
※まさに戦争真っ盛りだった1941(昭和16)年の日本で出版されたこの書で、田中美知太郎さんが言っていることをしっかりと胸に刻んでおきたいものです。