エラトステネス
ヘレニズム期の科学を代表する科学者。地球の外周を測定するなど、天文学、地理学、数学、さらに文献学者としても業績を残している。
ヘレニズム時代の前3世紀の人文科学と自然科学の両方に通じた大学者で、アフリカ北岸のキレネで生まれ、アレクサンドリアでムセイオンと併設されていた図書館の第3代館長を務めた。またシラクサからアルキメデスがアレクサンドリアに留学しに来たのもエラトステネスの館長時代のことであった。
古代の万能人
エラトステネス(前276~前194)は前3世紀の最も重要な学者の一人である。一般にはムセイオンの図書館館長を務めたこと、地球の外周の大きさを正確に測定したことで知られているが、その業績はそれらにとどまらなかった。ホメロスなどの古典の研究や、ストア派に近い哲学の分野でも活躍し、後のルネサンス時代のダヴィンチなどのように、一つの分野に限られることのない、万能人としての先駆的な活動をしている。(引用)彼の不滅の名声は様々な学問分野における業績を通じて培われたものであり、その多様性、多面性はまさにヨーロッパ・ルネサンス期の偉大なユマニストたちを思い起こさせる。彼の知的活動は、詩学、哲学、文学批評、地理学、天文学、数学、科学的年代学などに及んだ。それゆえ彼は従来の「文法学者」と呼ばれるよりも、学問の様々に異なった分野に造詣の深い人を意味する「文献学者」と呼ばれることを好んだ。ところで彼の業績は、彼がいかに適切に図書館を利用し、ムーゼイオンの新しい器機などを巧みに使用したかということをよく示しているという点で大変興味深い。・・・彼のもっとも偉大な業績は地理学の分野にあるが、それは単に彼が地球の表面の距離を測定するという前例のない試みをしたというだけでなく、その著『地球の測定について』において距離を二地点間の距離だけでなく緯度と経度とによって定義しようとしたことによる。主著『地理学』において彼は、それまでの地理学の歴史全体についての博識ぶりを見事に示している。・・・<モスタファ=エル=アバディ著/松本慎二訳『古代アレクサンドリア図書館 よみがえる知の宝庫』1991 中公新書 p.104>
地球の円周を測定
エラトステネスは夏至の6月21日にナイル上流の現在のアスワンにある深い井戸の底に太陽の光が差し込むことに気づいた。つまり太陽が頭の真上にあり、その地点では太陽光線が地表に対して垂直になる。同じ時刻、エラストテネスは同じ子午線上で、その井戸から5000スタディオン(1スタディオンは約160メートル。よって5000スタディオンはおよそ800キロメートル)の離れた北にあるアレクサンドリアで、仲間が太陽光線と地表の垂線とのなす角度を測った。その角度は約7°12′、すなわち円周の50分の1だった。この角度は地球の中心での角度と同じだから、5000スタディオンを50倍した25万スタディオンが地球の外周(子午線の)であるはずだ、と結論づけた。これは約4万キロメートルに相当するので、現在知られている地球の外周とほぼ等しい。<アミール・D・アクゼル/水谷淳訳『天才数学者列伝』2012 ソフトバンク p.41>Episode 素数をさがす「エラトステネスのふるい」
エラトステネスは、与えられた任意の数以下の素数を見つけるための「エラトステネスのふるい」といわれる方法を考え出した。素数とはそれ自身の数字でしか割ることの出来ない数。たとえば2から100までの素数を見つけてみよう。最初に2の倍数をすべて消す。次に3の倍数を消し、同様にまだ消されていない数の倍数を消していくと、11になったとき消すべき新たな数字はすべてなくなり、残った数が2から100までの中の素数と言うことになる。この方法では大きな数では面倒になるが、どこまでも続けることが出来るので、素数が無限にあることが証明できる。これは現代の純粋数学につながる数論の業績となっている。<アミール・D・アクゼル/水谷淳訳『天才数学者列伝』2012 ソフトバンク p.43>