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ラテン人

印欧語族に属する古代イタリア人の一系統で、中部のラティウム地方に定住し都市を作った。その一つであるローマが有力となると他の都市はラテン同盟市を結成したが、前338年にローマに敗れた。その後はローマを構成する人々をラテン人、その言語をラテン語、その分化をラテン文化というようになった。

 インド=ヨーロッパ語族に属するイタリア人の一系統。イタリア人はギリシア人の南下と同じころの前16世紀にイタリア半島に南下したと思われるが、その中のラテン人は前11世紀ごろにイタリア半島の中部に入ったようである。ラテン人が定住したのがラティウム地方で、ローマなどの都市が建設された。彼らの言語であるラテン語は、ローマ文明を支える言語となる。

ラテン同盟とその解体

 ラティウム地方のラテン人諸都市(現在のティヴォリ、パレストリーナなど。ローマもその一員だった)は共同で外敵に向かい、ローマのディアナを共通の神といただくラテン同盟をつくっていた。しかし、紀元前5世紀後半以降、ローマは急速に領土を拡張してラテン同盟の実質的な盟主となった。第一次サムニウム戦争でローマがカンパニア地方を併合したのを見たラテン同盟諸都市は、独立が脅かされることに危機感をいだき、紀元前340年に団結してローマに戦いを挑んだ。それがラテン同盟戦争である。この戦いは前338年にローマの勝利に終わり、ローマはラテン同盟を解体した。その代償として有力都市には名目上の独立を認めたが、ローマ以外の都市が互いに同盟することは許さず、「分割して統治せよ」という分割統治の原則を実行した。<青柳正規『ローマ帝国』岩波ジュニア新書 2004 p.36> → 半島統一戦争
 前338年、ラテン同盟市がローマに敗れ、ラテン同盟は解体され、自治市とされた。自治市の上層市民にはローマ市民権(ラティウム権といわれた)が与えられ、自治が認められたが、軍事的にはローマに従属し、市民は重装歩兵として従軍する義務を負わされた。