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自治市

ローマが周辺のラテン都市、さらにイタリア半島を征服していく過程で、その支配下に入ったが、一定の自治が認められた都市。上層市民にはローマ市民権が与えられた。

 ローマが前4~3世紀に半島統一戦争を進める過程で、ローマに征服された都市。最初に支配下に入ったラテン人の都市(ラティウム)に多く見られた。ラテン語ではムニキピウム municipium という。ローマとの戦いに敗れて都市国家としての独立は失ったが、一定の自治は認められた。ただしその自治権は、外交・軍事面や裁判はローマに権限を握られていたので限定的であった。また、上層市民にはローマ市民権が与えられたが、婚姻、財産などの民法上にとどまり、ローマ市の役人への立候補や選挙という参政権は認められなかった。市民権が認められ、ローマ市民となった場合には、軍務を追わなければならない。  → 分割統治植民市同盟市
 共和政末期の前91年~前87年に起こった同盟市戦争は、同盟市がローマと同じ市民権を要求して決起したもので、反乱は鎮圧されたが、その後は同盟市の市民にも市民権が与えられ、イタリア半島内のイタリア人はすべて市民権が認められた。
注意 古代ローマのムニキピウムを日本で「自治市」と言っているが、自治の内容には幅があり、上記の説明は一般的なものである。また、自治都市と言ってもよいが、高校世界史では「自治市」は古代ローマのことであり、自治都市は中世封建社会で国王から自治を認められた都市、特にイタリアのコムーネのことを指すので注意しよう。
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