コロヌス
ローマ帝政期に、奴隷労働ではなく、土地所有者の土地の耕作して小作料を納める農民。小作制度はコロナトゥスという。自由人ではあるが移動の自由はなく、中世の農奴の前身と考えられる。
コロヌスとは、もとは一般的な農夫の意味であったが、歴史上は、ローマ帝政末期に多くの法令によって規制された小作人のことをさしている。また、コロヌスを主とする土地の経営である小作人制度をコロナトゥスという。コロヌスは奴隷と違い、解放奴隷として人格的には自由人となり、家族を営むことは出来たが、土地所有権はなく、土地所有者の耕地を耕して、小作料を負担(地代ははじめは金納で、しだいに現物納に変わった)を課せられていた。さらに、コンスタンティヌス大帝の時、身分制度の強化の一環として、コロヌスの移動は禁止され、土地に縛り付けられ移動の自由はなくなった。一般に、古代の奴隷とヨーロッパ中世の農奴の中間的形態と考えられる。
コロヌスの土地緊縛令
コンスタンティヌス大帝の時の332年に出された勅法、いわゆる「コロヌスの土地緊縛令」には次のように定められている。(引用)他人の権利に属するコロヌスが身を寄せたることを発見せられし者は、当人をその原籍地に返還するのみならず、その逃亡期間の人頭税をも支払うべきものとす。逃亡を企てたるコロヌスに対しては、主人はこれを鎖に縛し、自由人にふさわしき仕事を奴隷にふさわしき方法により行わしめよ。これはコロヌスを土地につなぎ止めて移動の自由を奪ったものであり、コンスタンティヌス帝が税収入の確保のために打ち出したものと考えられている。一方でコロヌスは同じ身分の女との結婚だけが合法と認められ、産まれた子供はその身分を引き継いだので、身分としても固定されていた。
コロヌスと奴隷
357年の勅法では、土地を売却あるいは贈与しようとするものが、その土地にいるコロヌスを手もとに残して他の土地に転用することが禁じられた。コロヌスは完全に土地に縛りつけられた存在となった。こうしてコロヌスは自由人と言っても移動の自由は認められず、土地に縛り付けられて重い地代を負担する存在となったが、その頃奴隷の供給も止まったので、奴隷の中にも自由が認められ小作人になるものも増え、このような半自由人であるコロヌスを労働力とする土地経営、つまりコロナートゥス制が、奴隷を労働力とする大農園経営(ラティフンディア)に代わって一般的になっていった。<村川堅太郎・長谷川博隆・高橋秀『ギリシア・ローマの盛衰』1993 講談社学術文庫 p.328>