石柱碑
アショーカ王の石柱碑
マウリヤ朝全盛期のアショーカ王がその支配領域に建立した碑文のある石柱。ダルマ(法)に基づく統治理念が各地の文字で彫られており、古代インド研究の重要史料となっている。
インドのマウリヤ朝全盛期のアショーカ王は、ガンジス川流域を中心に約30本の巨大な石柱を立て、そこにダルマに基づく政治理念を6~7章の詔勅として刻ませた。高さは12~15メートル、直径は平均50センチで、ウッタル=プラデーシュ州の同じ石切場から採られた砂岩を用い、表面を磨いた上にブラーフミー文字などが彫られており、上部には獅子などの像がのせられている。その加工、また建立には高度な技術があったことがわかる。もっとも著名なものはサールナートの石柱碑である。
右の図はサールナートのものではなく、ビハール州にある唯一の完全な石柱碑。高さ12m。
右の図はサールナートのものではなく、ビハール州にある唯一の完全な石柱碑。高さ12m。
アショーカ王石柱碑の言語と文字
石柱碑に用いられている言語はマガダ地方の俗語であり、文字はガンジス流域のものはほとんどが古代インドの文字であるブラーフミー文字で彫られている。しかし西北インドではカローシュティ文字のものも見られる。また辺境であったアフガニスタン東部ではアラム語・アラム文字や、ギリシア語・ギリシア文字のものも見つかっており、アショーカ王が異民族対策に腐心していたことがうかがえる。いずれにせよアショーカ王石柱碑の碑文は古代インド研究の重要な史料となっている。