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タミル人

南インドのドラヴィダ系民族。ヒンドゥー教を受容したが、現在のスリランカでは少数派であり、多数派の仏教徒との間で対立が起こっている。

 インド南端部に住む、ドラヴィダ系民族。前1000年までに、アーリヤ人に圧迫されながら南下し、この地に入ったと思われる。彼らは北インドのヒンドゥー文化を受け入れながらも、独自の文化を持ち続け、また北インドとは異なる独自の王朝が交代した。チョーラ朝パーンディア朝などがその例である。「紀元前後からタミル語を使用した文芸活動がさかんにおこなわれた」というのは、タミル語の最古の文学といわれる「サンガム」(チャンガム)のこと。
 現在、タミル人はスリランカにも居住するが、そこではヒンドゥー教徒の彼らは、多数派の仏教徒であるシンハラ人と対立して、タミル人問題といわれる民族対立が継続している。

Episode 日本語の起源はタミル語?

 1970年代の末、学習院大学の大野晋教授は、日本語の起源は南インドのタミル語に求めることができる、という説を発表した。教授は日本語とタミル語の古典「サンガム」との間にコメ、アハ、ハタケ、タンゴなどの稲作農業に関する言葉の音韻が同一であることを手がかりに研究を進め、文法や五七五七七という歌の形式、様々な農耕儀礼、甕棺などの墓制などでも両者の間に近親性があると考えた。それによれば日本は縄文時代のオーストロネシア語族の土台の上に、紀元前数百年の頃、南インドから稲作・金属器・機織などの文明を持つ南インドの人々が到来したという。このタミル語説は発表と同時に反論が相次いでいるが、比較言語学からの具体的な日本文明の起源に対する問題提起として注目された。<大野晋『日本語の起源 新版』1994 岩波新書など>

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タミル人問題

スリランカでのアーリヤ系で仏教徒のシンハラ人と、ドラヴィダ系でヒンドゥー教徒のタミル人との民族・宗教的な対立。1983~2009年、長期にわたる内戦が続いた。

 現代のスリランカにおける民族紛争。スリランカでは多数(約7割)を占めるシンハラ人(インド=ヨーロッパ語族のアーリア系)と少数(約20%)のタミル人(ドラヴィダ系)がいるが、シンハラ人は仏教徒、タミル人はヒンドゥー教という対立もある。

スリランカ内戦

 1983年から、少数民族のタミル人が分離独立を要求、「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」がテロ活動を開始し、スリランカは内戦となった。1987年にインドのラジブ=ガンディー首相が内戦に介入してインド軍を出兵させ、タミル人の弾圧にあたったが、1991年には反発したタミル人過激派によって暗殺された。1993年5月には大統領がLTTEのメンバーに殺害される事件も起こり、内戦は深刻な状態となった。この内戦では双方で計約6万5千人(『朝日新聞』2005.8.14)が死亡しているという。
 ようやく2002年に、ノルウェーの仲介によって停戦が合意されたが、和平交渉が始まったが、双方の溝は埋まらず、LTTE側が交渉離脱を宣言、テロ攻撃を復活させ、停戦が揺さぶられた。
 「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」はスリランカ北部に拠点を設け、全盛期には国土の3分の1を制圧していたが、2005年に大統領となったラージャパクサは、2008年に停戦の破棄を宣言し、全面的なLTTE制圧を開始した。政府軍の攻勢を受けたLTTEは内部対立もあって次々と拠点を失い、最後は北部の狭い地域に20万近い民間人を「人間の盾」にして立てこもる戦術をとった。国連が憂慮を表明するなか、政府軍は攻勢を強め、2009年5月17日に民間人全員を解放し、18日にはLTTEの議長を射殺して全土の解放を宣言し、内乱を一応終結させた。
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書籍案内

大野晋
『日本語の起源 新版』岩波新書