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邑制国家

有力な大邑のを中心とした都市国家である邑の連合体を邑制国家とする説。

 (ゆう)は村落の意味でもあるが、それが発達していくつかの村落を統合し、住民を集住させて城郭を築いた都市国家も邑という。邑の構成員は同一氏族であると意識され、それぞれ族長が支配した。前16世紀中ごろ、それらの邑の中で最も有力となった黄河中流域の「商」を中心として、邑の連合体が形成された。商は後に、「殷」と言われるようになり、現在確実視される中国の最初の王朝である殷王朝である。殷は大邑商の王であり、周辺の邑を従えたが、その力は各々の邑の内部に及ぶものではなく、邑の族長を通じての支配にとどまった。そのような大邑を中心とした邑の連合体のような国家形態を邑制国家ということもあるが、これは学術上の用語であり、殷代にそういわれたわけではない。また殷王とその他の邑の関係、殷王との連合体を構成した邑の範囲についても学説上の対立がある。
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