六朝文化で流行した、四六駢儷(べんれい)文、または単に「四六文」、「駢文」ともいわれる文体。駢儷とは「ならべる」と言う意味で、4字と6字をもとにして、対句表現を行う文体をいう。初めは詩に用いられていたが、南北朝時代には散文にも取り入れられ、その形式が貴族社会の流行となった。特に南朝では音韻の研究が進んで四声が発見されたため、韻を踏む詩文として盛んになり、華麗な技巧が発達した。この流行は唐代まで続いたが、次第に形式化が進んで陳腐に感じられるようになり、
韓愈などの
古文復興運動が起こってくる。