第3章 東アジア世界の形成と発展
1 北方民族の活動と中国の分裂
Text p.81
ア.北方民族の動向
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4~5世紀 a 遊牧民 が大規模な移動を開始 → 地球規模での民族大移動。
Text p.82
A 匈奴の分裂
a 匈奴 、漢の武帝による攻勢を受け、内紛も生じる。
a 匈奴 、漢の武帝による攻勢を受け、内紛も生じる。
┌→c 東匈奴 →内モンゴルを支配。前51年、漢に服属。
前60年頃、b 匈奴の分裂 ─┤
└→d 西匈奴 →タラス川上流に移住。
前60年頃、b 匈奴の分裂 ─┤
└→d 西匈奴 →タラス川上流に移住。
→ 前36年 東匈奴が漢と結んで西匈奴を倒す。
┌→e 南匈奴 →中国内地に移住。後の五胡の一つとなる。
後48年c 東匈奴 南北分裂 ─┤
└→f 北匈奴 →後漢に討たれ、西に移動 →フン族か?
後48年c 東匈奴 南北分裂 ─┤
└→f 北匈奴 →後漢に討たれ、西に移動 →フン族か?
B 五胡 の華北侵入
2世紀ごろ、遊牧民諸部族が華北に移住し、後漢などの傭兵として活動。
4世紀初め、中国内部の混乱 → 華北に遊牧民が国家を建設し、興亡する。
→ 漢人は、華北から江南(長江下流域)に移住。
2世紀ごろ、遊牧民諸部族が華北に移住し、後漢などの傭兵として活動。
4世紀初め、中国内部の混乱 → 華北に遊牧民が国家を建設し、興亡する。
→ 漢人は、華北から江南(長江下流域)に移住。
a 匈奴 :漢に服属した南匈奴の中の劉淵が八王の乱の際に挙兵し、304年に漢を建国。
b 羯 :匈奴の一派。後に十六国の一つ後趙を建国。
c 鮮卑 :モンゴリア草原の遊牧民。ツングース系・トルコ系などの説がある。
後にその中の拓跋氏が有力となり、北魏を建国し、華北を統一。
d 氐 :陝西・甘粛地方のチベット系半農半遊牧民。十六国の前秦、後涼を建国。
e 羌 :青海地方のチベット系遊牧民。十六国の一つ後秦を建国。後には西夏を建国。
※以上をあわせてf 五胡 という。
b 羯 :匈奴の一派。後に十六国の一つ後趙を建国。
c 鮮卑 :モンゴリア草原の遊牧民。ツングース系・トルコ系などの説がある。
後にその中の拓跋氏が有力となり、北魏を建国し、華北を統一。
d 氐 :陝西・甘粛地方のチベット系半農半遊牧民。十六国の前秦、後涼を建国。
e 羌 :青海地方のチベット系遊牧民。十六国の一つ後秦を建国。後には西夏を建国。
※以上をあわせてf 五胡 という。
┌→ ユーラシア西部 フン族の西進 →g ゲルマン民族の大移動
4~5世紀 ─┤
└→ ユーラシア東部 五胡の南下 →h 中国の南北朝の動乱
4~5世紀 ─┤
└→ ユーラシア東部 五胡の南下 →h 中国の南北朝の動乱
イ.分裂の時代
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A 後漢の滅亡 184年 a 黄巾の乱 を豪族連合軍が鎮圧。→ 群雄割拠
華北のb 曹操 、江南のc 孫権 、四川のd 劉備 が有力になる。
208年 ▲e 赤壁の戦い 曹操、孫権・劉備の連合軍に敗れ、天下三分の形勢となる
208年 ▲e 赤壁の戦い 曹操、孫権・劉備の連合軍に敗れ、天下三分の形勢となる
▼
B 三国時代 220~280年
華北 a 魏 :曹操の子b 曹丕(文帝) 、後漢を滅ぼす(220年)。都c 洛陽 。
→ 官吏登用制として九品中正を定める。(後出)
長江下流(江南) d 呉 :孫権が建国。都はe 建業 (現南京)。
四川 f 蜀 :劉備が建国。都g 成都 。関羽、 張飛 、 諸葛孔明 が活躍
→ 234年 諸葛孔明、 五丈原 で陣没。
263年 魏が蜀を滅ぼす。
→ 官吏登用制として九品中正を定める。(後出)
長江下流(江南) d 呉 :孫権が建国。都はe 建業 (現南京)。
四川 f 蜀 :劉備が建国。都g 成都 。関羽、 張飛 、 諸葛孔明 が活躍
→ 234年 諸葛孔明、 五丈原 で陣没。
263年 魏が蜀を滅ぼす。
三国時代 ○が三国、□が五胡
a 魏
b 呉
c 蜀
d 鮮卑
e 匈奴
f 羯
g 羌
h 氐
i 洛陽
j 建業
k 成都
l 楽浪
m 帯方
n 高句麗
o 倭
p 赤壁
q 五丈原
▼
C 晋の統一
265年 a 司馬炎 、b 魏 の重臣、禅譲を受け建国(武帝)。都は洛陽。
280年 c 呉 をほろぼし中国統一(西晋)。 → 政情は安定せず。
→ 土地制度として占田法・課田法、税制として戸調式を定める。(後出)
・諸王の抗争
290~306年 d 八王の乱 = 司馬氏一族の諸王の抗争。
→ それぞれが北方の遊牧民を傭兵として利用し、抗争する。
→ 北方の遊牧民=e 五胡 が勢力を伸ばし各地で自立する。
304年 f 匈奴 の劉淵、山西で挙兵し漢を建国(後の前趙)=五胡十六国の始まり。
280年 c 呉 をほろぼし中国統一(西晋)。 → 政情は安定せず。
→ 土地制度として占田法・課田法、税制として戸調式を定める。(後出)
・諸王の抗争
290~306年 d 八王の乱 = 司馬氏一族の諸王の抗争。
→ それぞれが北方の遊牧民を傭兵として利用し、抗争する。
→ 北方の遊牧民=e 五胡 が勢力を伸ばし各地で自立する。
304年 f 匈奴 の劉淵、山西で挙兵し漢を建国(後の前趙)=五胡十六国の始まり。
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Text p.83
D 東晋 の成立
311年 a 匈奴 (漢)が首都洛陽を攻略、ついで316年、長安も陥落させ西晋滅亡。
= b 永嘉の乱 (311~316年)。
317年 晋の一族c 司馬睿 が江南に逃れD 東晋 を建国。都d 建康 (現南京)。
→ 漢文化の中心が江南(長江流域)に移り、開発も進む。
= b 永嘉の乱 (311~316年)。
317年 晋の一族c 司馬睿 が江南に逃れD 東晋 を建国。都d 建康 (現南京)。
→ 漢文化の中心が江南(長江流域)に移り、開発も進む。
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E 五胡十六国 304~439年 華北に五胡および漢人の16王朝が興亡。
五胡=a 匈奴 ・b 鮮卑 ・c 羯 ・d 氐 ・e 羌
それぞれ華北に王朝を立て、抗争する。
→ 華北に遊牧民の習慣(粉食や椅子など)が広がる。
▲351年 d 氐 の前秦が有力になる → 383年 淝水の戦いで東晋に敗れ、衰える。
→ 鮮卑の中の一部族、f 拓跋氏 が有力になる。
386年 拓跋珪がg 北魏 を建国(道武帝)。
→ 398年 h 平城 (現大同)を都とし、部族制を廃止。
・▲青海地方 i 吐谷渾 鮮卑の慕容氏出身。チベット人を従えて建国。
→ 華北に遊牧民の習慣(粉食や椅子など)が広がる。
▲351年 d 氐 の前秦が有力になる → 383年 淝水の戦いで東晋に敗れ、衰える。
→ 鮮卑の中の一部族、f 拓跋氏 が有力になる。
386年 拓跋珪がg 北魏 を建国(道武帝)。
→ 398年 h 平城 (現大同)を都とし、部族制を廃止。
・▲青海地方 i 吐谷渾 鮮卑の慕容氏出身。チベット人を従えて建国。
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F 南北朝 439~589年の150年間
南には漢民族の王朝、北には北方民族の王朝が併存。
G 北朝
439年 a 北魏 のb 太武帝 が華北統一。道教を国教とし仏教弾圧(後出)。
494年 c 孝文帝 都をd 平城 からe 洛陽 に移す。
・仏教保護に転ず。(後出)
・制度、服装、言語のf 漢化政策 を推進。
・g 均田制 (土地制度。後の隋唐が継承。)
・h 三長制 (隣・里・党からなる村落制度)の採用。
538年 内紛からi 東魏 とj 西魏 に分裂。
・西魏で軍事制度の府兵制が始まる(隋唐が継承)。
→ さらに、東魏はk 北斉 に、西魏はl 北周 に替わる。
577年 l 北周 が華北を統一。府兵制を継承。廃仏を行う。
494年 c 孝文帝 都をd 平城 からe 洛陽 に移す。
・仏教保護に転ず。(後出)
・制度、服装、言語のf 漢化政策 を推進。
・g 均田制 (土地制度。後の隋唐が継承。)
・h 三長制 (隣・里・党からなる村落制度)の採用。
538年 内紛からi 東魏 とj 西魏 に分裂。
・西魏で軍事制度の府兵制が始まる(隋唐が継承)。
→ さらに、東魏はk 北斉 に、西魏はl 北周 に替わる。
577年 l 北周 が華北を統一。府兵制を継承。廃仏を行う。
H 南朝
420年 東晋の武将a 劉裕 が実権を握り、b 宋 を建国。
以後、c 斉 →d 梁 →e 陳 と漢民族の王朝が続く。
・都はいずれもf 建康 (現南京)。
・貴族の勢力が強く、皇帝権力は弱かった。
・長江流域の開発が進み生産力発展し、人口も増える。
※呉~東晋~南朝の四つの漢民族の王朝をあわせてg 六朝 という。
→ 貴族による漢文化が継承されh 六朝文化 として栄える。(後出)
以後、c 斉 →d 梁 →e 陳 と漢民族の王朝が続く。
・都はいずれもf 建康 (現南京)。
・貴族の勢力が強く、皇帝権力は弱かった。
・長江流域の開発が進み生産力発展し、人口も増える。
※呉~東晋~南朝の四つの漢民族の王朝をあわせてg 六朝 という。
→ 貴族による漢文化が継承されh 六朝文化 として栄える。(後出)
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581年 隋の統一
ここまでの3~6世紀をまとめてi 魏晋南北朝時代 という。
ここまでの3~6世紀をまとめてi 魏晋南北朝時代 という。
5世紀 南北朝時代の中国と東アジア
a 北魏
b 宋
c 高句麗
d 新羅
e 百済
f 平城
g 洛陽
h 長安
i 建康
j 平壌
k 慶州
l 漢城
m 雲崗
n 竜門
o 敦煌
p 広開土王碑
q 白村江
b 宋
c 高句麗
d 新羅
e 百済
f 平城
g 洛陽
h 長安
i 建康
j 平壌
k 慶州
l 漢城
m 雲崗
n 竜門
o 敦煌
p 広開土王碑
q 白村江
ウ.社会経済の変化
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A 貴族階級の形成 後漢末からa 豪族 の力強まる。
Text p.84
官吏登用制度の変化 漢のb 郷挙里選 → 三国時代の魏のc 九品中正 に変わる。
地方の州郡毎の役人である中正官が、人物を九等級にわけて中央政府に推薦する。
→▲d 「上品に寒門無く下品に勢族なし」 といわれ、豪族が上級官僚を独占。
地方の州郡毎の役人である中正官が、人物を九等級にわけて中央政府に推薦する。
→▲d 「上品に寒門無く下品に勢族なし」 といわれ、豪族が上級官僚を独占。
★補足: その意味
3世紀の中ごろ、九品中正制が行われていた晋で、九品の上の品等にされた人々には寒門=貧しい家の出身者は無く、下の品等とされた人々には勢族=有力者がいない、という意味。つまり、上品は有力者=豪族に占められている、ということである。魏から始まる九品中正が本来の人材登用の目的からはずれ、西晋のころには豪族が中央の官僚になることが多くなり、門閥貴族となっていったことを示している。
→ 地方豪族が中央政府に進出し、政治権力を握りe 門閥貴族 を形成する。
B 土地制度の変化 豪族の大土地所有と農民の没落・奴隷化の防止のための政策。
三国時代・魏のa 屯田制 :曹操が実施。富豪が耕作者の集団に官有地を耕作させる制度。
西晋の▲b 占田法 ・ 課田法 :武帝が制定。土地所有の制限と租税の確保をはかったものか。
→ 税制 戸調式 :一戸ごとに税として絹・綿など現物を納められる。
北魏のc 均田制 :孝文帝が定めた土地公有制。隋唐の土地制度として継承される。
15歳以上の男に40畝、女に20畝の 露田 を給し、老年になれば返還させた。
=大土地所有の制限は不十分で、豪族の貴族化は隋唐時代まで続く。
d 江南の開発 :長江の中・下流。華北からの人口流入により人口増加し、開発進む。
→ ▲東晋および南朝ではe 土断法 を施行。=華北からの移住民をその地で戸籍に登録する。
南朝の貴族は、荘園を経営、自給自足的な田園生活を行うものも現れた。
西晋の▲b 占田法 ・ 課田法 :武帝が制定。土地所有の制限と租税の確保をはかったものか。
→ 税制 戸調式 :一戸ごとに税として絹・綿など現物を納められる。
北魏のc 均田制 :孝文帝が定めた土地公有制。隋唐の土地制度として継承される。
15歳以上の男に40畝、女に20畝の 露田 を給し、老年になれば返還させた。
=大土地所有の制限は不十分で、豪族の貴族化は隋唐時代まで続く。
d 江南の開発 :長江の中・下流。華北からの人口流入により人口増加し、開発進む。
→ ▲東晋および南朝ではe 土断法 を施行。=華北からの移住民をその地で戸籍に登録する。
南朝の貴族は、荘園を経営、自給自足的な田園生活を行うものも現れた。
エ.魏晋南北朝の文化
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特徴 1. 動乱期にあたり多様な思想や文化が生まれ、儒教に代わり仏教と道教が盛んになった。
2. 貴族社会が形成され、自由で自主的な思想(竹林の七賢など)が生まれた。
3. 特に江南では漢文化が継承され、文学や絵画で貴族を主体とした六朝文化が栄えた。
2. 貴族社会が形成され、自由で自主的な思想(竹林の七賢など)が生まれた。
3. 特に江南では漢文化が継承され、文学や絵画で貴族を主体とした六朝文化が栄えた。
1 仏教 の伝来 後漢の1世紀ごろ、西域から中国に伝えられる。
→ 4世紀後半 中国の社会一般に仏教が広がる。 → 中国仏教 の展開
→ 4世紀後半 中国の社会一般に仏教が広がる。 → 中国仏教 の展開
・4~5世紀 華北の五胡十六国、江南の東晋の時代、西域・インドとの仏僧の往来が盛んになる。
a 仏図澄 310年 西域の亀茲から来朝し洛陽で布教。
→ 弟子の 道安 、戒律を作る。 → 東晋の 慧遠、浄土教を始める。
b 法顕 東晋の僧。399~412年 グブタ朝インドに行きc 『仏国記』 を著す。
d 鳩摩羅什 亀茲の人で父はインド人。5世紀はじめ 長安で布教、仏典の翻訳。
a 仏図澄 310年 西域の亀茲から来朝し洛陽で布教。
→ 弟子の 道安 、戒律を作る。 → 東晋の 慧遠、浄土教を始める。
b 法顕 東晋の僧。399~412年 グブタ朝インドに行きc 『仏国記』 を著す。
d 鳩摩羅什 亀茲の人で父はインド人。5世紀はじめ 長安で布教、仏典の翻訳。
・5世紀 e 北魏 の仏教弾圧
太武帝、道教を国教とし、446年に仏教弾圧(f 法難(廃仏) )が起こる。
→ 三武一宗の法難 の始まり。
太武帝、道教を国教とし、446年に仏教弾圧(f 法難(廃仏) )が起こる。
→ 三武一宗の法難 の始まり。
・g 石窟寺院 の造営 北魏で仏教が復興し、孝文帝によって保護される。
h 敦煌 :西域の東端。4世紀から唐代に及び塑像の仏像、壁画が多数作られる。
i 雲崗 :文成帝の時、平城(大同)に建造。ガンダーラ・グプタ様式の残る石仏。
j 竜門 :孝文帝の遷都に伴い、洛陽郊外に建造。中国独自様式をもつ石仏。
h 敦煌 :西域の東端。4世紀から唐代に及び塑像の仏像、壁画が多数作られる。
i 雲崗 :文成帝の時、平城(大同)に建造。ガンダーラ・グプタ様式の残る石仏。
j 竜門 :孝文帝の遷都に伴い、洛陽郊外に建造。中国独自様式をもつ石仏。
・北朝の仏教=庶民に広がると共に国家仏教、護国鎮護の宗教として発達。
・南朝の仏教=貴族の個人的な信仰を中心とした貴族仏教、学問仏教として発達。
6世紀前半、梁の 武帝 の時、江南の仏教が栄える。
・6世紀初め 達磨 、インドから渡来(伝承)。 → 唐で、中国独自の 禅宗 に発展。
・南朝の仏教=貴族の個人的な信仰を中心とした貴族仏教、学問仏教として発達。
6世紀前半、梁の 武帝 の時、江南の仏教が栄える。
・6世紀初め 達磨 、インドから渡来(伝承)。 → 唐で、中国独自の 禅宗 に発展。
2 道教 の成立 5世紀、民間信仰とa 神仙思想 を道家の思想に取り入れる。
Text p.85
北魏のb 寇謙之 が 新天師道 をはじめ、国家宗教として教団の形成につとめる。
→c 太武帝 に信任され、▲442年 北魏の国教となる。
さらに不老不死と現世の利益を説き、民衆に浸透する。
道教の僧を道士、寺院を 道観 、経典を 道蔵 という。
→c 太武帝 に信任され、▲442年 北魏の国教となる。
さらに不老不死と現世の利益を説き、民衆に浸透する。
道教の僧を道士、寺院を 道観 、経典を 道蔵 という。
3.魏~西晋の貴族文化
a 竹林の七賢 阮籍 ・嵆康ら、儒教的な道徳を否定、自由な生き方を求める。
b 清談 の流行 c 老荘思想 の影響を受けた自由な議論が好まれた。
b 清談 の流行 c 老荘思想 の影響を受けた自由な議論が好まれた。
4.東晋~南朝のa 六朝文化 漢文化が継承され貴族文化が発展
・文 学:詩人 東晋のb 陶淵明(陶潜) 、 宋のc 謝霊運 など、田園生活を歌う。 文人 d 昭明太子 (梁): 「文選」 を編集。 → e 四六駢儷体 の文体が流行。 ・美 術:絵画 f 顧愷之 (東晋) g 『女史箴図』 書 h 王羲之 (東晋) 『蘭亭序』 その子 王献之 ・歴史書:西晋の陳寿、 『三国志』 を編纂。 ・地理書:酈道元の 『水経注』 ・技術書:賈思勰のi 『斉民要術』 (中国最古の農業書)。 ・医 学:j 『傷寒論』 (医学書) |
g 『女史箴図』 (大英博物館蔵) |
オ.周辺国家の形成
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A 朝鮮 の情勢 中国の分裂 → 朝鮮半島の諸民族の自立
周辺諸民族の新興国家が中国の諸王朝にa 朝貢 する。外交儀礼とともに貿易でもある。
周辺諸民族の新興国家が中国の諸王朝にa 朝貢 する。外交儀礼とともに貿易でもある。
・半島北部:313年 b ツングース 系 貊族 のc 高句麗 が楽浪郡を滅ぼす。
都は鴨緑江岸の 丸都城 。→427年に都を 平壌 に移す。
→4~5世紀 d 広開土王(好太王) 半島南部に進出、倭と争う。資料 広開土王碑 。
都は鴨緑江岸の 丸都城 。→427年に都を 平壌 に移す。
→4~5世紀 d 広開土王(好太王) 半島南部に進出、倭と争う。資料 広開土王碑 。
・半島南部:e 韓 民族が 三韓 (馬韓・辰韓・弁韓)に別れ、それぞれ小国に分立。
→4世紀なかば、馬韓、辰韓では統一が進む。
→4世紀なかば、馬韓、辰韓では統一が進む。
辰韓→f 新羅 都は金城(現在の 慶州 )
馬韓→g 百済 都は漢城(現ソウル)、高句麗に押され南の熊津、さらに 扶余 に移る。
弁韓 → 加羅 諸国(その中の一つが任那) → 倭が進出か
=朝鮮のh 三国時代 (4~7世紀)
馬韓→g 百済 都は漢城(現ソウル)、高句麗に押され南の熊津、さらに 扶余 に移る。
弁韓 → 加羅 諸国(その中の一つが任那) → 倭が進出か
=朝鮮のh 三国時代 (4~7世紀)
Text p.86
B 日本 1世紀頃から、中国の文献にa 倭国(倭人) として現れる。
3世紀 b 邪馬台国 の女王c 卑弥呼 が魏に朝貢 (d 『魏志倭人伝』 )に記載。
→ 考古学上の弥生時代後期にあたる。
4世紀 e 大和政権 が成立か。 → 考古学上の古墳時代の始まり。
5世紀 倭国の王(讃・珍・斉・興・武) 中国の南朝に朝貢。(倭の五王)
→ f 漢字 ・仏教 ・儒教 ・道教 などの中国文化が朝鮮半島経由で伝わる。
→ 考古学上の弥生時代後期にあたる。
4世紀 e 大和政権 が成立か。 → 考古学上の古墳時代の始まり。
5世紀 倭国の王(讃・珍・斉・興・武) 中国の南朝に朝貢。(倭の五王)
→ f 漢字 ・仏教 ・儒教 ・道教 などの中国文化が朝鮮半島経由で伝わる。