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仏国寺

朝鮮の新羅時代の仏教寺院。新羅の都、慶州にあり、751年に現在の姿になった。特に石像の多宝塔が有名。

 韓国の慶州に残る新羅時代の朝鮮の仏教文化を代表する仏教寺院。韓国語でプルグクサと読む。535年、三国時代の新羅の法興王の時に創建されたが、現在の建物は8世紀の新羅時代とされる。代表的仏教遺跡であり、現在も美しい石塔の多宝塔など、多くの石造建造物が残っていて、近くの同じく新羅時代の石窟寺院である石窟庵とともに世界遺産に指定されている。仏国寺は石造建築として有名だが、木造部分は豊臣秀吉の侵略(壬辰・丁酉の倭乱)の時に焼き払われてしまった。

新羅時代の代表的建築


仏国寺の多宝塔
 仏教史学者鎌田茂雄氏による仏国寺紹介文を以て説明とします。
(引用)慶州の里は日本の奈良を思わせる。韓国語の「ナーラ」は固有語で「国」の意味である。日本の奈良を思わせる風光の慶州は、朝鮮九百年の古都でもある。その慶州を訪れる観光客が必ず訪れるのが、仏国寺である。
 仏国寺を代表するのは、何といっても釈迦塔と多宝塔である。この二塔は大雄殿の前庭の左右に相対峙して立っている。東の多宝塔、西の釈迦塔は、女性の美と男性の美をきそってまことに麗しい。創建時のほとんどの伽藍を失った仏国寺が、永遠の美として遺してくれたのが、この二つの石造物であった。
 仏国寺の正面の石の階段を見ていると、まさしく「石で畳んだ寺」という感じである。正面の石段、それが青雲・白雲の両橋である。このかなり高い石段は、中断の踊り場をはさんで上の方を青雲橋、下方を白雲橋と呼ぶ。この石段は昔、金大城によって諸仏菩薩の遊履の階位として作られたものである。現在、青雲橋と白雲橋は韓国の国宝に指定されている。この二橋は西方の蓮華橋、七宝橋とともによく調和を保ち、俗世界と清浄界とを分ってくれる。
 伽藍配置を見てみると日本の奈良時代の寺院と建物配置が似ている。ただ石垣とか石階段のような建造物は、中国、日本の様式とはまったく異なっており、新羅独自のものといえよう。<鎌田茂雄『仏教の来た道』初版1995 講談社学術文庫 p.274>
 また、詩人の三好達治が1940年に朝鮮を旅行した際に詠んだ「冬の日――慶州仏国寺畔にて」がある<詩集『一点鐘』所収>。
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書籍案内

鎌田茂雄
『仏教の来た道』
講談社学術文庫 2003