茶の専売制
中国の宋は、茶を専売制として財源に充てた。
茶を飲用する習慣は唐代に一般化し、宋でさらに普及した。農村では茶が栽培され、都市には茶館が生まれた。またこのころには漢民族の周辺の遊牧民にも喫茶の風習が広がったので、遊牧民の馬と漢民族の茶を交易する茶馬貿易(絹も取り引きされたので絹馬貿易ともいう)が平時には盛んに行われた。宋朝はこのような茶が盛んに流通し、さらに輸出品となっていることに目をつけて、専売にすることにし、国家財政の財源に充てた。 → 宋代の商工業の発達 塩・鉄・酒の専売制
(引用)唐代において、喫茶は一般庶民にまで普及し、塩とならぶ生活必需品となった。茶は漢族だけではなく、周辺の遊牧系諸民族にとっても必需品となってきた。宋代になると、この状況に着目して、宋朝は茶を国家収入の重要な財源とした。また周辺の諸民族は宋から茶の輸入を必要としたので、宋朝は有力な貿易商品として茶を利用し、茶馬貿易を行なおうとした。この事情は、宋以降、清に至る各王朝においても変わらない。・・・(塩・酒・銅・茶の専売による収入の内)茶は約4分の1を占める国家収入の重要な部分をなしていた。宋朝はこの茶の専売をたんに国家収入としただけでなく、茶を国境地帯の外敵に備える軍需品の運搬に利用した。軍需品を農民から徴発して運搬させると、農事の妨げになるだけでなく、その労役は過重なものとなっていた。そこで商人に軍需品を国境へ運ばせ、その代価に茶を商人に与え販売させた。このためにも茶の専売が必要であった。<布目潮渢『中国喫茶文化史』1989 再刊岩波同時代ライブラリー p.217>