景徳鎮
中国の陶磁器の名産地。宋代の1004年に官窯が始まり、明清時代に栄えた。
中国の陶磁器の有名な産地。宋時代は宋磁といわれる陶磁器製造が盛んになったが、北宋の皇帝真宗が、1004年に年号「景徳」をこの地の地名として授けた、と伝えられている。そこから起算すると、2004年で1000年目となる。良質な土と窯の燃料になる松が豊富であり、製品を搬出する水運が盛んだったことなどから、製陶業が発達し、世界的に有数の陶磁器の産地となった。宋から元の時代には白磁・青磁が主であったが、特に景徳鎮の白磁は青みを帯びた白磁が有名で、影青(いんちん)と言われた。元代にはイスラーム圏からコバルト顔料を用いて鮮やかな青色で模様を描く染付の技法が始まり、景徳鎮でも盛んに製造されるようになった。
明清時代の景徳鎮
しだいに技法も発達し、明代には染付に加えて、赤絵といわれる、多色による彩色がなされるようになって、いっそう華やかな作品が生み出されるようになった。景徳鎮は明と清では官営の御器廠(官窯)として保護された。また陶磁の道を通じてムスリム商人などによってインド洋を船で運ばれ、西アジアやヨーロッパにも中国産の陶磁器はもたらされ、王宮の貴族社会で特に珍重されたほか、広く使用されていた。現代の景徳鎮
現在は人口150万、市街地人口50万のうち、約8万人が陶磁器関連の仕事をしているという。長く各王朝の「官窯」として保護を受け、革命後は国営工場として運営されてきたが、最近は民間工場が進出し、国営工場の民営化がはかられている。<朝日新聞 2004年6月17日の記事による>