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アリクブケ

モンゴル帝国のチンギス=ハンの孫。兄のフビライとハンの地位を争ったが、1264年に投降した。

 アリク=ブケ、アリクブカとも表記する。チンギス=ハンの孫の世代。トゥルイの第4子で、モンケ、フビライ、フラグの末弟。1260年、兄のモンケ=ハンが南宋遠征中に急死したとき、兄弟中で唯一カラコルムに残っていたので、急きょクリルタイを開催し、第5代ハンに推挙された。しかし、それより前に南宋遠征中のフビライも開平府でクリルタイを開いて第5代ハン即位を宣言していたので、兄弟間の争いとなった。両者は激しく争ったが、チャガタイ家などがフビライ側に付き、また有力者フラグも西アジア遠征中で、しかもキプチャク=ハン国との対立を控えていたので動けず、実力に勝るフビライ軍によってカラコルムを奪われ、1264年に投降した。
注意 「アリクブケの反乱」とは言えない フビライとアリクブケの戦いを、「アリクブケの反乱」と言うのは誤っている。開戦時には両方とも大ハーンを主張している。『元史』や『集史』などのモンゴル正史でもアリクブケは正式な大ハーンとして認められ、第5代のハンとしてフビライと併置されている。従ってアリクブケが反乱を起こしたという事実は無い。それは、勝者であるフビライの立場からのあとづけの言い方である。 → フビライの項の「アリクブケとの抗争」を参照
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