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カラコルム

モンゴル帝国の第2代オゴタイが建設した都。13世紀にはヨーロッパからのプラノ=カルピニやルブルックが来訪した。

 1235年、モンゴル帝国の第2代オゴタイが建設した都城。カラ・コルム Khara Khorum とは「黒い砂礫」の意味。モンゴル帝国は、チンギス=ハンのころは定まった都を持たず、天幕で移動していたので、これがモンゴル帝国最初の都である。モンゴル高原の中、オルホン川東岸の地味の豊かな草原地帯につくられた都で、ここを中心に、モンゴル帝国領内に道路網が建設され、街道には駅伝(ジャムチ)が設けられた。

東西交流の基点

 カラコルムにはグユク、モンケまでのハンが住み、モンゴル人、中国人、イスラーム教徒の他、ヨーロッパ人も住んでいたという。またヨーロッパのローマ教皇から派遣されたプラノ=カルピニ、フランス人宣教師ルブルックなどが来訪している。
 フビライが大都(現在の北京)に遷都してからは政治、経済の中心からは離れたが、モンゴル高原では重要な位置にあった。しかし、モンゴル帝国滅亡後は次第に荒廃し、消滅してしまった。1889年以来、遺跡の発掘調査が行われている。
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