印刷 | 通常画面に戻る |

ハワーリジュ派

4代カリフのアリーを暗殺した強硬な反ムアーウィヤを主張する一派。

 イラクのクーファを拠点としたムハンマドの娘婿アリーと、ウマイヤ家のシリア総督でダマスクスを拠点とするムアーウィヤが657年にユーフラテス上流のスィッフィーンで戦ったとき、アリーは戦いを有利に進めながら、コーランに裁定を委ねようと言うムアーウィヤ側の提案を呑み、戦闘を中止した。この時、あくまでムアーウィヤとの戦いを主張してアリーの陣営を離脱した戦士が、「離脱者たち(ハワーリジュ)」と呼ばれた。彼らはアリーの妥協的な態度を非難し、その支配に服さなくなったのでアリーは討伐をしょうとしたが、661年1月、逆にこの派の刺客によってクーファにおいて暗殺されてしまった。
 ハワーリジュ派はその後も厳しく弾圧を受けほとんど消滅した。なお、その中の穏健派であるイバード派はマグリブ地方のアルジェリアで777年にルスタム朝を建国したが、909年にはシーア派のファーティマ朝に滅ぼされた。現在ではアラビア半島東端のオマーンでなお有力である。
印 刷
印刷画面へ