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ルスタム朝

8世紀末、アッバース朝から自立しアルジェリアに成立したイスラーム王朝。

 マグリブ地方はイスラーム世界の中心から離れていたので、中央での宗派対立で敗れたアラブ人が信仰の自由を求めて移住してくることが多かった。第4代カリフ・アリーを支持してウマイヤ家と対立し、さらにアリーがウマイヤ家と妥協を図ったことに反発してアリーを暗殺したグループであるハワーリジュ派アルジェリアに逃れてきて、ベルベル人の中に支持者を得た。732年、ポワティエの戦いでウマイヤ軍がキリスト教軍敗れた後、ベルベル人のハワーリジュ派はアラブ人に対する反乱を企てて敗れたが、その一部はアルジェリア西部に逃れた。<川田順造『マグレブ紀行』1971 中公新書 p.18>

ルスタム朝の成立

 中央ではアッバース朝が成立したが、アッバース朝はイベリア半島やマグレブなどの辺境の統治には熱心でなかったので、各地に地方政権が独立するようになった。その最初が、777年にこのベルベル人のハワーリジュ派がイラン人のイブン=ルスタムイマームとして戴き、アルジェリアの西部ターハルトを都に独立したルスタム朝である。マグレブでは他に、モロッコにシーア派のイドリース朝が独立し、チュニジアにスンナ派ののアグラブ朝がアッバース朝の宗主権を認めながら実質的に自立した。ルスタム朝はハワーリジュ派という独自の信仰を掲げたので、この二つの王朝とは対立したが、イベリア半島の後ウマイヤ朝とは友好関係にあった。
ルスタム朝が拠点としたターハルト(ティーハルト)はサハラ以南との交易のキャラバン=ルート上にあり商業が発展していた。アルジェリアに起こったシーア派のファーティマ朝によって、アグラブ朝につづき、909年に滅ぼされた。この派は厳しい弾圧を受けてほぼ消滅したが、その中の穏健派がイバード派として存続していた。なお、イバード派は現在もオマーンなどで存続している。 → アルジェリア 
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