ニザーム=アルムルク
11世紀後半、セルジューク朝の最盛期のイラン人宰相。学問の奨励でも有名。その名はニザーミーヤ学院に残る。
11世紀後半、セルジューク朝のアルプ=アルスラーンとマリク=シャーという2代のスルタンに仕えたイラン人の宰相(ワジール)。ニザーム=アルムルクとは「国家の秩序」の意味の称号。ペルシア語を用いて『政治の書』(または『統治の書』)を著し、君主の統治理念を具体的に説き明かした。
セルジューク朝の名宰相
イクター制では、その所有者の権利と義務を定め、2~3年でイクターを変更し、必要があれば中央から調査官を派遣する、とした。またスンナ派イスラーム教を復興させようとしてニザーミーヤ学院を創設して学問を奨励した。アラビア文学を代表する『ルバイヤート』の作者として知られる詩人であり、ジャラーリー暦を編纂したウマル=ハイヤームを保護したことでも知られ、ともにイラン=イスラーム文化を代表する人物である。暗殺教団に暗殺される
しかし晩年はマリク=シャーとの関係が悪化し、スルタンの後継問題から1092年に暗殺された。暗殺犯は、セルジューク朝の弾圧を受けていたシーア派系イスマーイール派の最も過激な集団であった暗殺教団であった。この後はセルジューク朝は次第に衰退していった。