イラン/イラン系民族
西アジアから中央アジアまで広く活動したインド=ヨーロッパ語族。アケメネス朝、パルティア、ササン朝の大帝国を成立させペルシアとも言われた。ゾロアスター教など独自の文明を発展させたが、7世紀にイスラーム化した。16世紀サファヴィー朝からはシーア派国家となり、20世紀にパフレヴィー朝が成立、1935年に国号をイランとした。第2次世界大戦前後から産油国として列強の介入が強まり、パフレヴィー朝の親欧米政策への民衆の反発を背景に1979年にイラン革命が起こり、イラン=イスラーム共和国と改称し、シーア派宗教主導の国家となった。現在は核武装をめぐりアメリカとの対立、レバノンのシーア派武装組織ヒズボラをめぐるイスライエルとの対立が強まり、2026年2月にトランプ政権のアメリカとネタニアフ政権のイスラエルが同時にイランを空爆、最高指導者ハメネイ師が殺害され、イランは革命防衛隊によるペルシア湾の封鎖などで対抗し、戦争が勃発した。
- (1)古代のイラン系国家
- (2)イラン系民族のイスラーム化
- (3) イスラーム化後のイラン
- (4) シーア派国家の成立
- (5) 18~19世紀イランの混乱
- (6)20世紀前半 パフレヴィー朝
- (7)第二次世界大戦後のイラン
- (8)イラン革命
- (9)核開発から核合意へ
- (10)アメリカ・イスラエルのイラン攻撃
※イランの歴史の概要
イランとペルシア
イラン人はインド人と同じくインド=ヨーロッパ語族に属するアーリヤ人の一分派で、紀元前2千年紀に南ロシアのステップ地帯から南下し、イラン高原に入ったらしい。その過程でイラン高原北西部のメディア人、南西部のペルシア人などに分化した。後にペルシア人のアケメネス家が全イランを統一したので、イランとペルシアは同義語となった。世界史上は現在のイランだけではなく、中央アジア、西アジア、北インドにかけて広く活動していた民族であり、ゾロアスター教に代表される独自のイランの伝統文化の源流を成立させた。アケメネス朝とセレウコス朝
前6世紀からは、イラン高原南部のペールス地方を拠点としたペルシア人の国家であるアケメネス朝が有力となり、イラン高原からメソポタミア、小アジアを含む西アジア一帯に及ぶオリエント世界を統一して、世界帝国を作り上げた。この最初の世界帝国であるペルシア帝国は、エジプトを征服、中央アジア、インダス川流域を統治下に入れ、中央集権による皇帝専制国家を実現させた。前6世紀末からギリシアへの進出を図ったがペルシア戦争でギリシアのポリス連合軍に敗れて失敗し、前4世紀末にはアレクサンドロス大王の東方遠征によって征服されて消滅した。アレクサンドロスの帝国の成立によって、ギリシア文明とオリエント文明の融合したヘレニズムが生まれ、イランの伝統文化もその中に取り込まれていった。パルティアとササン朝
その後もヘレニズム諸国のセレウコス朝シリアの支配が続いたが、前3世紀にイラン高原北東部の遊牧イラン人アルサケスが建てたパルティアが自立して、次第にヘレニズムの影響を脱しイラン文化を復興させた。パルティアは東方では大国クシャーナ朝と接し、西方では新たに起こったローマ帝国とも並び立つ事となり、東西交易路を押さえて繁栄した。しかし、その後はアルメニアをめぐってローマと激しく対立するようになり、次第に国力を衰退させていった。紀元後226年、農耕イラン人のササン朝ペルシアがパルティアに替わって西アジア全域を抑え、かつてのアケメネス朝の帝国支配とイランの伝統文化を再興した。ササン朝ペルシアもローマ帝国と西部国境で激しく争ったため、次第に国力が衰えた。このことが、アラビア半島に興ったイスラーム教の勢力が、西アジアに急速に広がる前提となった。イスラーム化以降のイラン
7世紀に東方に進出したイスラーム教は、正統カリフ時代の642年にニハーヴァンドの戦いでササン朝ペルシア軍を破り、それによってササン朝は急速に衰え、651年に滅亡、イラン高原はイスラーム化することとなった。イラン人はイスラーム帝国のアラブ人の支配者を受けることとなったが、その伝統的文化はイスラーム帝国下でも尊重され、イラン文化とイスラーム文化は融合しイラン=イスラーム文化が生み出された。その後もトルコ人のセルジューク朝、モンゴル人のイル=ハン国、ティムール朝といった他民族支配が続くが、それらのイスラーム教国でもイラン人は官僚などとして重用された。シーア派国家イラン
16世紀にイラン人の国家としてサファヴィー朝が成立するが、ここからはイスラーム教シーア派国家として独自の道を歩み、西のオスマン帝国、東のムガル帝国というスンナ派イスラーム教国と抗争を続ける。近代においては石油資源が発見されたことによって、イギリス・ロシアの帝国主義国家がイランに進出したため苦境に立たされたが、20世紀にパフレヴィー朝が独立を回復、1935年には国号をイランとした。パフレヴィー朝は、第二次世界大戦後に世俗化、欧米化を進めたが、それをアメリカへの従属政策であるとして反発したシーア派宗教指導者ホメイニらが1979年に決起し、イラン革命を起こし、パフレヴィー朝は倒され、シーア派主体のイスラーム宗教国家イラン=イスラーム共和国が成立、現在に至っている。