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ピピンの寄進

756年、フランク国王ピピンがラヴェンナ地方などをローマ教皇に寄進したこと。これによってローマ教皇領が成立し、教会国家の基盤が築かれた。

ピピン、フランク国王となる

 751年、ピピンフランク王国メロヴィング朝の王を追放して自ら王位につきカロリング朝を創始した。その際、ローマ教皇ザカリウスはそれを認め、ピピンはカトリック教会の大司教のもとで国王就任の儀式(塗油)を行った。
 同じ751年に北イタリアを支配していたゲルマン人のランゴバルド王国は、ビザンツ帝国領のラヴェンナを攻撃した。ラヴェンナ総督はその地を放棄したためランゴバルド王国はその周辺のローマ教皇支配地を含めて併合した。さらにイタリア半島統一をめざしてローマに迫った。

ピピン、ランゴバルド王国を攻撃

「ピピンの寄進」の範囲


ピピンの寄進
 753年、ランゴバルトの脅威が迫ると、ローマ教皇(ステファヌス2世※下の注を参照)は、自らガリアの地に赴き、ピピンに面会して救援を要請、754年、ピピンはモン=スニ峠を越えてイタリアに入り、ランゴバルド王国の首都パヴィアを包囲し、ランゴバルド王アイストゥルフにラヴェンナなどの教皇への返還を同意させた。それを受けて、ローマ教皇は7月28日にピピンのフランク国王戴冠式を行って塗油をほどこした(旧約聖書のダビデ王の塗油にならった儀式)。その後、フランク軍が撤退すると約束を違え、再びローマを攻撃したので、救援の要請を受けたピピンは756年、大軍を率いて再びアルプスを超えランゴバルド遠征を行った。この二度の武力行使により、ランゴバルド王はついに屈し、同年1月ラヴェンナとその周辺を放棄した。

ピピン、ラヴェンナをローマ教皇に寄進

 756年、ランゴバルド王国から奪ったラヴェンナ地方とその周辺をローマ教皇に寄進した。ラヴェンナはイタリアの中部、アドリア海に面した地域で、かつて一時はローマ帝国・東ローマ帝国の都でもあったところで、ランゴバルド王国に征服される前はビザンツ帝国の総督が治めていた。ビザンツ帝国皇帝はその地がピピンからローマ教皇に寄進されたことを認めずに反発したが、ローマ教皇は、イタリア中部はもともとコンスタンティヌス大帝がローマ教会に寄進する予定だった(いわゆる「コンスタンティヌスの寄進状」)としてその正当性を主張し、ビザンツ帝国側の返還要求を拒否した。

「ピピンの寄進」の歴史的意義

 この寄進を受けることによって、ローマ教皇領が成立し、ローマ教皇はその後中部イタリアに領土を広げて、一定の領域を支配する教会国家の政治権力となっていく。中世ヨーロッパにおいて大きな政治権力となったローマ=カトリック教会の教会国家の成立をもたらすという結果となった。

参考 教皇ステファヌス2世について

 ピピンから寄進を受けた時のローマ教皇は、一般に「ステファヌス2世」とされるが、「ステファヌス3世」とされる場合もある。これは次のような事情である。
 751年にピピンの王位を認めた教皇ザカリウス(在位741~752)は翌752年に没し、その年にステファヌス2世が新教皇に選出された。ところがわずか3日後、教皇即位式前に脳卒中で倒れ死んでしまった。新たに選出し直された新教皇もステファヌスと名のったので、前のステファヌス2世の即位を認めれば新教皇は「3世」となる。しかし、即位式前になくなった者を正式な教皇として認めない、ということになればこの新教皇が「2世」となる。現在のローマ教皇庁の公認の「ローマ教皇表」では、急死したステファヌス2世を公式な教皇として認めていないので、新教皇が「ステファヌス2世(在位752~757)」とされている。この方が一般的なようだ。<鈴木宣明『ローマ教皇史』教育社歴史新書 p.137/シオヴァロ、ベシエール『ローマ教皇』知の再発見双書 p.46>
 ただし、そうなると「ステファヌス2世」と名のる教皇が歴史上で2人存在することになるので、非公式教皇を「2世」、公式教皇を「3世」とする場合もある。M.スチュワート『ローマ教皇歴代誌』では「正式に任命されるまえに卒中で命を失ったため、彼を教皇に数えるかどうかは結論が出ていない」といっている。そのため、「ステファヌス2世(3世)」あるいは「ステファヌス3世(2世)」などと表記されることもあり、その後ステファヌスを名のる教皇は9世(10世)まで、同じようにふた通りを併記している。<M.スチュワート『ローマ教皇歴代誌』創元社 p.76>
 以上のことから、ピピンの寄進を受けたローマ教皇は「ステファヌス2世(3世)」とするのが妥当であるが、多くの概説書や年表(岩波版世界史年表など)、一般的な世界史辞書の多くが「ステファヌス2世」としているので、混乱を避け、それらに従った。なお、受験の世界史ではステファヌス2世は取り上げられることはない。
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書籍案内

鈴木宣明
『ローマ教皇史』
2019 ちくま学芸文庫

2014年に死去したの上智大名誉教授にしてイエズス会司祭であった鈴木宣明氏氏の著作は、ローマ教皇について理解する上で最良の教養書ではないでしょうか。


マックスウェル=スチュワート/高橋正男監修
『ローマ教皇歴代誌』
1999 創元社