カロリング朝
カロリング家のピピンが建てたフランク王国の王朝。
751年からメロヴィング朝にかわりフランク王国を支配したカロリング家の王朝。メロヴィング家の宮宰であったカロリング家のカール=マルテルの子のピピン(3世。小ピピン)がローマ教皇の同意を得て即位、かわりに756年に領地を寄進(ピピンの寄進)してローマ教皇との結びつきを強くした。
初代ピピンの子のカール大帝(1世)は領土を周辺に広げ、現在の西ヨーロッパほぼ全域を支配し、800年にローマ教皇からローマ帝国皇帝に戴冠された(カールの戴冠)。しかし、その死後はゲルマン人の一派で固有の分割相続原則によって領土分割が相次ぎ、843年のヴェルダン条約と870年のメルセン条約によって東フランク、西フランク、イタリアの三国に分裂する。カロリング家の王はそれぞれを継承したが、10世紀までにいずれも断絶する。
初代ピピンの子のカール大帝(1世)は領土を周辺に広げ、現在の西ヨーロッパほぼ全域を支配し、800年にローマ教皇からローマ帝国皇帝に戴冠された(カールの戴冠)。しかし、その死後はゲルマン人の一派で固有の分割相続原則によって領土分割が相次ぎ、843年のヴェルダン条約と870年のメルセン条約によって東フランク、西フランク、イタリアの三国に分裂する。カロリング家の王はそれぞれを継承したが、10世紀までにいずれも断絶する。