少年十字軍
1212年に発生した、十字軍運動のの一つ。実態は成年も含まれていた。
十字軍運動の中で起きた悲劇的な出来事。1212年、北フランスの羊飼いの少年エティエンヌは神のお告げを受け、子供たちだけの十字軍を呼びかけた。たちまち全国に広がり、それを支援する司祭も現れた。フランス王フィリップ2世はこの運動を禁止したが、ローマ教皇インノケンティウス3世は十字軍(第4回)がコンスタンティノープルから動かないため、替わりの十字軍の派遣を提唱していたので、少年たちの十字軍には困惑したが放任した。ついにマルセイユの港から7艘の船に乗って、12歳以下の少年少女たちの十字軍が出発した。実際にはかなり多数の大人が加わっていたらしい。7艘のうち2艘は途中嵐で海に沈んだ。残りの5艘は船主がアレキサンドリアに運び、そこで奴隷に売り飛ばしてしまった。同じ年にドイツでもケルンのニコラウスという10歳の少年が神のお告げにより少年十字軍を起こし、イタリアから海を渡ろうとしたが、これはその地の司教が阻止して故郷に送り返された。
Episode 少年十字軍の後日談
17年後に、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世(両シチリア王)がアレキサンドリアのスルタンと和を結んだとき、何人かの少年十字軍に加わり奴隷として売られていたうちの何人かが解放された。それでも700人が奴隷としてアレキサンドリアに残っていたという。「少年十字軍」の実態
(引用)世上伝えられる少年十字軍のイメージはかなり史実と相違しており、その誤ったイメージにもとづいで不当な評価をうけでいろきらいがある。史料によると、この十字軍には非常に多くの大人か参加しており、そのうち不自由身分の便用人、家内労働に徒事する召使などは社会身分が低いというだけで年齢的には成年である。「当然のことながら、その中には娼婦もいれば盗賊もいた」のであって、それらはもちろん大人である。つまり、少年十字軍とは、ある霊感をうけた一少年がリーダーとなり、仲間の同年配の末成年者を多数ひきつれで巡礼に出発したという、発生の時点での特色をとらえた表現であったのである。行列が進み、諸地方をへめぐるうちに後から加わった者は必ずしも子どもばかりではなかった。したがって、この十字軍の本質は末成年者にあるというより、むしろ貧しい庶民にあると考えるべきであろう。<橋口倫介『十字軍』 岩波新書 P.174-179>