東方植民
11~14世紀にヨーロッパの北東部でのドイツ人の植民活動。
「ドイツ人の東方植民」の動きは、地中海方面での十字軍運動 、イベリア半島でのレコンキスタなどと並んで、西ヨーロッパの三圃制農業の普及などの農業生産力の向上、人口の増加に伴う、開拓・開墾の進行という、キリスト教世界の膨張運動の一環と見ることが出来る。特に12世紀のシュタウフェン朝時代に、ドイツ人はエルベ川を超えて東方に活発に植民活動をこない、その地域のスラヴ人居住地域に進出してドイツ化を押し進めた。その過程で、ブランデンブルク辺境伯、マイセン辺境伯、オーストリアなどの有力なドイツ諸侯が登場した。また、バルト海沿岸では、十字軍運動のなかから生まれた宗教騎士団の一つであるドイツ騎士団が皇帝と教皇の勅許を得て植民活動を行い、原住民のプロイセン人をキリスト教化しつつ、広大なドイツ騎士団国家を建設した。<この項 坂井榮八郎『ドイツ史10講』による>