ブランデンブルク辺境伯
ドイツ人の植民活動の結果、エルベ以東、オーデル川までの地域に成立した封建諸侯。1356年、選帝侯となり、1618年にプロイセンと合体し同君国となる。
中世のドイツ、神聖ローマ帝国支配下の封建領主の一つ。ブランデンブルクはドイツ東北部のエルベ川とオーデル川の間の地方。ヴェント族という民族が居住していたが、次第にドイツ人が進出、11世紀以降の東方植民がこの地に行われた。1134年、アスカニア家のアルプレヒト熊公がブランデンブルク辺境伯に封じられた。その後、アスカニア家は断絶し、ヴィッテルスバッハ家、ルクセンブルク家が辺境伯を継承したが、この時代は弱体であった。
ブランデンブルク選帝侯国へ
しかし、神聖ローマ帝国を構成する有力諸侯として、1356年に金印勅書によって選帝侯のひとりとなった。それ以降はブランデンブルク選帝侯国という。1415年にホーエンツォレルン家がブランデンブルク選帝侯となってから次第に有力となって、有力な領邦(ラント)に成長、1618年にはドイツ騎士団領から発展したプロイセン公国と合体して同君国ブランデンブルク=プロイセンとなり、さらに1701年、プロイセン王国となり、ドイツ帝国(第二帝国)の中核となっていく。