李時珍
明代の本草学者で1578年に『本草綱目』を完成させた。出版は1596年。
本草学とは薬となる植物についての学問の意味であるが、ひろく動物や鉱物も含めて薬学一般を意味するようになった。明代の万暦帝(1572~1620年)時代の李時珍は中国古来の薬草、薬物についての資料を集め、自説を加えて1578年に『本草綱目』を完成させた。その後も改訂を加え、最終的に刊行されたのは1596年だった。近年中国では漢方医学に対する再評価が高まり、李時珍も偉人として取り上げられ、記念切手も発行されている。
中国全土の薬草を収集
李時珍(1518-1593 通称東碧)は、湖北省の代々伝わる医者の家に生まれ、小さいときから医学に強い関心を抱いていた。24歳で正式に医者となって、患者の診察に当たりながら、多くの医学・薬学の書を調べていった。そしてそれらの本の中にまちがったことが多数書かれていることに気づき、自らより完備した医薬書をつくろうと決意した。そのため、長江、黄河の流域を訪ね歩き、各地の人々に教えを求め、薬物の標本と民間の処方を集め、さらには自分で薬草を植えて試した。27年にわたる努力の末、まとめあげたのが『本草綱目』だった。<世界の教科書シリーズ『中国中学校歴史教科書』明石書店刊 p.579>