清朝が当初採った
海禁のために1661年に出した法令。清の
順治帝の時、1661年に台湾の
鄭成功一族の反乱を抑えるため、東南沿岸部5省の住民を30里内に移住させ、同時に海上での貿易を禁止した。強制移住と貿易禁止で鄭成功一族の経済活動に打撃を与えることがねらいであったが、清朝側も損害が大きかった。また、これによって日本での中国産の生糸(白糸)の輸入が途絶えたため、
長崎の中国貿易も打撃を受けた。その後、
康煕帝の1683年に鄭氏一族の反乱が鎮定されたので、
海禁政策も解除された。長崎での中国貿易も急増したので、幕府は1688年に長崎に唐人屋敷を設けてその統制を強化した。