それまでの
チベット仏教が仏教以前の
チベットの土俗的宗教であるボン教の要素が強く、呪術的な現世利益を求めるものであったのに対し、戒律を厳しくし仏教本来の倫理性を強めようとした。その教派は
黄帽派(またはゲルク派)と云われ、チベット仏教の主流となる。黄帽派は戒律が厳しく、妻帯できないため、教主(ラマ)の後継者は仏教の輪廻転生の教えに基づき、教主の死んだ時刻に産まれた男子から選ぶ、「転生ラマ」の制度がとられた。ところがツォンカパの死後、その教えは二系統に分かれ、主流は
ダライ=ラマが、傍系がパンチェン=ラマが継承することとなった。