ベルギー出身の
イエズス会宣教師。1659年に
清の時代の中国に渡った。中国名
南懐仁。
康煕帝が
三藩の乱に際し、フェルビーストに大砲の鋳造を命じ、これが功を奏して乱を鎮定することができたので、康煕帝は宣教師のもたらす西洋の技術に大いに関心を持ち、たびたび
紫禁城の内廷に彼を招いて講義を聴いたという。またこの康煕帝の時代はキリスト教に寛容であったのも彼らの活動に追うところが大きい。またフェルビーストは暦の制定で天文学の知識を発揮し、1669年正月元日に起こった日食の時刻を正しく計算したことでも康煕帝の信頼を獲得し、
アダム=シャールのあとを受けて天文台長官となった。