ミッレト
オスマン帝国のキリスト教徒・ユダヤ教徒などの宗教団体。団体ごとに自治を認める寛容な宗教政策がとられた。
オスマン帝国での宗教政策で、メフメト2世の時に始まるという。メフメト2世はイスタンブル再建にあたって、ムスリム以外の異教徒を、三つの宗教共同体(ミッレト、またはミレット)に組織した。3つとは、ギリシア正教徒、アルメニア教会派、ユダヤ教徒でありすべての非ムスリムはこのいずれかに属し、各ミッレトはその長を任命し、ミッレトごとに貢納の義務をもつかわりに、彼らの固有の信仰と法と習慣を認められ、自治を行った。オスマン帝国での寛容な宗教政策であり、イスラーム世界のズィンミー(納税することによって自分たちの信仰を認められた被保護民)が生かされている。
Episode ミッレト制という用語は西欧人が用いた
ミッレト制はメフメト2世の時に始まるとされてきたが、不思議なことに同時代の史料には全く現れてこない。元来ミッレト(またはミレット)とはアラビア語で「宗教」を意味する「ミッラ」を語源としており、現在のようなミッレト制という使い方はされなかった。どうやら近代に入って西欧人がオスマン帝国でのムスリムと非ムスリムの共存するシステムを解りやすく説明するために用いたため、広く流布するようになったらしい。<鈴木董『オスマン帝国-イスラム世界の柔らかい専制-』1992 講談社現代新書 p.86>参考 ミッレトをめぐって
ミッレトは、オスマン帝国における宗教上の寛容という特徴を示す制度として注目されてきたが、1980年代には研究者のあいだで、その実在に否定的な見方が多くなった。それは上述の説明にもみられるように、ミレットはオスマン帝国の制度としては存在しなかった、あるいは単なる理念に過ぎなかった、またはたのイスラーム世界にもみられる非イスラーム教徒(ジンミー)に対する保護と同じものでオスマン帝国にだけあてはまるのではない、という見解である。現在多くの概説書も否定的な説明となっている(山川出版社の詳説世界史B用語集も、2008年版からそのような補足を行っている)。ところが最近、オスマン帝国時代にミッレトが実際にあったことを示す資料も報告されるようになり、否定説が見直されているようです。しばらくは研究動向を注意する必要があります。<この項は代々木ゼミナール教材研究センター越田氏よりご教授頂きました。2019/12/6記>