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ドナテルロ

ドナテルロ「ダヴィデ像」
ドナテルロ『ダヴィデ像』

15世紀、フィレンツェの彫刻家。古典古代の人間美を復活させ、近代彫刻の出発点となった。

 Donatello 1386-1466 ルネサンス期、フィレンツェの彫刻家。建築におけるブルネレスキ、絵画におけるマサッチョとともに、彫刻における「近代的表現」を開拓した作家として重要である。
 ドナテルロはブルネレスキの近代的作風の彫刻を受け継いだが、その時代のフィレンツェではギベルティ風のゴシック様式を残した穏健、繊細な作風が主流を占めたので、ドナテルロの作品は評価が低かったため、フィレンツェを出て制作に当たった。その代表作「ガッタメラータの騎馬像」はパドヴァで制作された。フィレンツェに戻ってコジモ=デ=メディチの保護を受けたが、生前は人気が出ることはなかった。またその作品にはローマで学んだ古典彫刻の表現が取り入れられ、1440年ごろのダヴィデ像はその美しい肉体表現を見ることができ、次のミケランジェロにつながるものとして重要である。ドナテルロが死んで10年たった1475年に、フィレンツェにおいてミケランジェロが生まれた。

手工芸から芸術へ

 ドナテルロは、フィレンツェ共和国の民主政の発展という時代を背景に、彫刻を手工業の技術の域から脱却させ、芸術へと高めた、「最初の近代的芸術家」であった。
(引用)ドナテルロは敢然として現実を直視し、そのほかのいろいろなものに掣肘されず、ただ、現実が如何にあるか、それをあきらかにしようとした。ドナテルロが、百姓としてのクリストを表現した、といわれるのも、その深い意味がそこにあった。<羽仁五郎『ミケルアンヂェロ』1939 岩波新書 p.101>

Episode ドナテルロのキリスト像

(引用)若きドナテルロが、ある日、かれの親しい先輩であり友人であるブルネレスキに、かれのあたらしい作品について批判を求めたとき、ブルネレスキは、“君のつくったものは、これは、クリストではない、これは、十字架にくぎづけされた農民ではないか”、といった、というはなしがある。ドナテルロは自らおどろいて、手にさげていた朝食の品を地面におとしてしまったのを見て、ブルネレスキが“おれたちの朝飯をどうするのだ”といったら、ドナテルロは“きみはきみの食うものをひろってくれ、ぼくはいま今日の朝飯を食ってしまった”といった、というのだ。<羽仁 p.101>

ドナテルロとコジモ=デ=メディチ

 ドナテルロは、フィレンツェの富豪コジモ=デ=メディチに説いて、そのサン=マルコ庭園に、ローマ時代の古典的彫刻作品を収集して公開するプランを立て実行した。そのころのメディチ家は最有力市民ではあったが、まだフィレンツェ共和国の“市民の第一人者”に過ぎず、専制的な特権を得ていたわけではなかった。しかし次第に政権を独占し、特権的地位を獲得しようという意図を持ち始め、そのためには芸術に対しても理解を示すことが有効であると考えた。ドナテルロはそのようなメディチ家の当主コジモに保護されようとはしていなかった。ドナテルロはコジモから贈られたマントを生涯着ることはなかったという。<羽仁 p.102,106>
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書籍案内

羽仁五郎
『ミケルアンヂェロ』
1939 岩波文庫