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メランヒトン

ドイツの宗教改革者、人文学者。ルターを支持しアウクスブルク信仰告白を起草。

 ヴィッテンベルク大学でギリシア語を講義していた神学者で人文学者。ルター宗教改革に共鳴して、その教義を1521年に『神学概論』として公刊した。プロテスタント神学の最初の体系化ということができる。彼は新旧両派の対立の調停を図り、1530年のアウクスブルク帝国議会において『アウクスブルク信仰告白』を提起したが、ルターとカトリック諸侯双方から反対され、調停に失敗した。

アウクスブルク信仰告白

 1530年、ヴォルムス勅令発布以来、イタリア戦争やオスマン帝国との戦争のためドイツを離れていたカール5世が9年ぶりに戻り、帝国内の宗教問題に決着をつけるべくアウクスブルク帝国議会を召集したとき、プロテスタント諸侯と二都市の代表が提出した『アウクスブルク信仰告白』を起草したのがメランヒトンであった。メランヒトンはもともと人文学者であり、ルターのカトリック教会に対する厳しい対立的な考えと異なり教会を反キリスト教とは見なさず、その腐敗を正すことによってプロテスタントとも協調できると考えていた。そこでこの信仰告白では教皇の権威と司教制を認める限りにおいて信仰は自由であるとして両派の対立を解消し、調和させようとした。この提案は両派が最も近づいた瞬間であったが、これを聞いたルターは「キリストと悪魔が相容れないように、ルターと教皇は相容れない」と述べ激怒して妥協を拒否した。カトリック諸侯も妥協を拒否し、カール5世も調停をあきらめ、両派は武力衝突に向けて進むこととなった。<世界宗教史叢書『キリスト教史Ⅱ』1977 山川出版社 p.86-88>
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