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詳説世界史 準拠ノート(最新版)

第8章 近代ヨーロッパの成立

3節 宗教改革

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Text p.209

ア.宗教改革の始まり

■ポイント 宗教改革はどのようにおこされたか。ルネサンス・大航海時代の動きと併せてその意義と限界を考える。

ルター   の登場
ルター

A ルター   

  • ドイツ中部ザクセンのa ヴィッテンベルク  大学神学教授 A ルター   
  •  1517 年 c 『九十五ヶ条の論題』  を発表。
      → ローマ教会のd 贖宥状  の販売を批判。
    • ローマ教皇e レオ10世  がf サン=ピエトロ大聖堂  の修築資金の
        調達のためにドイツで発売した。ドイツは政治的に分裂していた。
    • ドイツはローマ教皇に搾取され、g 「ローマの牝牛」  といわれていた。
  • 主張 h 魂の救済は善行によるのではなく、福音信仰のみによって得られる。  
     = i 福音信仰  :信仰の拠り所は聖書のみである。
      → “人は信仰によってのみ義とされる” = j 信仰義認説   
  • Text p.210

  • ローマ教皇庁の搾取に反発する諸侯や、市民、領主に搾取されていた農民らが幅広くルターを支持。
教皇による破門  
  • ▲1519年 ライプツィヒ討論 神学者エックとの神学論争。
     → ルター、教皇の至上権を否定。さらにa フス  の説を擁護。ローマ教皇との対決が鮮明になる。
  • 1520年 b 『キリスト者の自由』  を刊行 → ローマ教皇、ルターを異端としてc 破門  
  • 1521年 神聖ローマ帝国皇帝d カール5世  、ルターをe ヴォルムスの帝国議会  に召喚。
      → その説の撤回を迫るが拒否。皇帝、彼の権利奪う。
  •  ザクセン選帝侯   フリードリヒ、ルターをかくまう。その保護のもと、ヴァルトヴルク城で
     『新約聖書』のドイツ語訳  を完成させる。
  • ▲1522年 騎士戦争 ジッキンゲンやフッテンら、ルター派の没落騎士の反乱。 → 鎮圧される。
ドイツ農民戦争  起こる。
  • ▲1522年春頃から、民衆の中に聖霊の働きを重視し、聖書を軽んじる急進派生まれる。
  • 1524~25年 a トマス=ミュンツァー  を指導者とする農民反乱起きる。
     = ルターの影響を受け、福音主義をかかげ、b 農奴制  などの12カ条の要求をかかげる。
  • ルターの態度 c 初めは農民反乱を支持したが、運動が過激化するに従い、批判的となった。   
     → 封建諸侯によって弾圧され、指導者も処刑される。
プロテスタント   の成立。
  • ザクセン選帝侯などが領内の教会の首長となるa 領邦教会制  を成立させる。
      その他、ルター派諸侯の改革:b 修道院の廃止  、典礼の改革などを進める。
     → ルター派諸侯と皇帝およびカトリック諸侯との対立深まる。
  • 1526年 皇帝c カール5世  、シュパイエル帝国議会でルター派の信仰の自由認める。
     背景:フランス(フランソワ1世)とのd イタリア戦争  の危機が続く。
        オスマン帝国(スレイマン1世)のバルカン進出 ▲e モハーチの戦い  でキリスト教軍が敗れる。
  • 1529年 皇帝、信仰の自由を取り消す → ルター派「抗議文」を出す。
     → ルター派はf プロテスタント  と言われるようになる。旧教徒との対立激化。
       同年、オスマン帝国軍のスレイマン1世、g ウィーン包囲  (第1次)をうける。
宗教戦争   が始まる。
  • 1530年 ▲皇帝、アウクスブルク帝国議会を召集。メランヒトンが「アウクスブルク信仰告白」を提起し
      和解を図る。ルター、カトリック教会共に妥協を拒否。
  • 1530年末、ルター派の諸侯と都市が結束してa シュマルカルデン同盟  を結成。
     = 反皇帝をかかげるプロテスタント側の同盟。カトリックを支持する皇帝・諸侯と対立深刻化。
  • 1546~47年 b シュマルカルデン戦争  起こる。
     = 旧教徒(カトリック)皇帝支持の諸侯と新教徒(プロテスタント)支持の諸侯の戦争。
     → プロテスタントの同盟軍、敗れる。 1546年 ルター死去。
アウクスブルクの和議   成立。
  • 神聖ローマ皇帝a カール5世  、長引く戦争に疲れ引退。実権を弟フェルディナントに譲る。
  • 1555年 アウクスブルク帝国議会でF アウクスブルクの和議  成立。
    意義:b ルター派の信仰が認められた。   しかし、c 領主の宗教がその地に行われる   と言われた。
    意味:d 領民(農民)個人には信仰の自由はなく、諸侯(領主)の宗派に従わなければならなかった。    
     = e 領邦教会制  の確立。

解説

アウクスブルクの和議で認められた信仰の自由は、領主および自由都市が、カトリックかプロテスタントかいずれかを選択する自由であり、個人の信仰の自由ではなかった。またプロテスタントの中ではルター派だけであり、カルヴァン派とツヴィングリ派は含まれていない。さらに領主がカトリックからルター派に改宗するときはその地位を失い、領地はカトリック教会に留保されるというきわめてカトリック教会側に有利なものであった。新旧両派の宗教対立の最終的解決は三十年戦争を経た、1648年のウェストファリア条約によってようやく達成される。

Text p.210

・f ルター派  はその後、北欧諸国に広がる。
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用語リストへ イ.カルヴァンと宗教改革の広がり

(1)スイスの宗教改革

■ポイント カルヴァンの思想、特にその「予定説」の意味と、影響を理解する。カルヴァン派の広がった地域を知る。

ツヴィングリ    の改革
  • 1523年 ルターの影響を受けスイスのa チューリヒ  で開始。
     → 市政府と協力し改革を進める。 → 中世以来の幼児洗礼は認める。
  • 1529年 穏健な改革を望むルターと対立。 1531年 旧教勢力と戦い戦死。
カルヴァン   の改革。
カルヴァン

A カルヴァン   

  • 1541年 a ジュネーヴ  で改革を始める。
      フランス人の人文学者。ルターの影響を受けb 『キリスト教綱要』  を著す。
  • ジュネーブの市政権をにぎり、c 神権政治  を行う。
     → 神の絶対主権を強調し、厳格な禁欲主義による政治をおこなう。
  • その思想:d 予定説   
     e 魂が救われるか否かはあらかじめ神によって定められている。 神から   
      与えられた現世の職業労働に務めるのが神の栄光をあらわす道である。   

     → f 商工業者(中産市民)  の思想と合致する。
  • ルター派はg 司教制度  を維持したのに対し、カルヴァン派は廃止。
     → 教会員の中から長老を選び牧師を補佐させるh 長老主義  をとる。

解説

勤勉な経済活動を神の「召命」(勤労は神の意志に添うことであり、それによって得られた富は正当な得分であると正当化される)として認められるというプロテスタントの倫理観が、合理的に利潤を追求する資本主義の精神の形成をもたらしたと考えられている。このような考えは、ドイツの社会科学者 マックス=ウェーバー が 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 (1905年)で明らかにした。
 プロテスタント   の成立と広がり。
  • 16世紀後半 a カルヴァン派  の信仰が西ヨーロッパに広がり、各地で次のように呼ばれる。
      フランス = b ユグノー   (同盟者の意味)
      ネーデルラント = c ゴイセン  (乞食の意味。現地の発音はヘーゼン)
      スコットランド = d プレスビテリアン   (長老派)
      イングランド = e ピューリタン  (清教徒)
  •  ルター派  はドイツ(各領邦、自由都市)および北欧諸国にひろがる。
  • これらのローマ教皇の権威と聖職者の特権を否定しg 万人祭司主義  をとる新教徒を総称して

    Text p.211

    C プロテスタント  、その思想をh プロテスタンティズム  という。

解説

宗教改革
左は16世紀初めにスイスのチューリヒでツヴィングリが発行した『神の水車』というパンフレットに描かれた木版画で、宗教改革の流れを水車小屋での製粉に喩えて寓意的に描いている。まず水車は左上に描かれた神の恩寵で動かされている。aはイエス=キリストで袋から小麦を大きな漏斗に入れてている。その小麦はよく見ると人の顔をしたマタイ、ライオンの顔のマルコ、雄牛の顔のルカ、鷲の顔のヨハネ、さらに剣を持つパウロとして描かれており、これらは新約聖書を意味している。ひかれて出てきた粉は、bのエラスムスによってより分けられており、「信仰、希望、慈愛、教会」の四つの言葉が記されている。その小麦を桶でこねてパンに仕上げているのがcのルターである。出来上がったパン、つまり聖書を手にとって、右の聖職者たちに手渡そうとしているdはツヴィングリと推定される。聖職者たちはそれを手に取ろうとせず、聖書は地に落ちていく。エラスムスの聖書研究は宗教改革にも大きな影響を与え、「エラスムスが産んだ卵をルターが孵した」ともいわれた。ツヴィングリのうえで竿を振るっている農民は、バン、バン(破門の意味)と鳴いてツヴィングリやルターを脅かしている不気味な鳥を追い払おうとしている。<森田安一『ルターの首引き猫』1993 山川出版社 p.38-51 による>


(2)イギリスの宗教改革

■ポイント イギリス宗教改革の経緯と特徴、イギリス国教会の性格、他宗派との関係を理解する。

ヘンリ8世

 ヘンリ8世   

ヘンリ8世   テューダー朝のもとで、カトリック教会と国王が対立。
  • 王妃(スペイン王家出身)とのa 離婚問題  でローマ教皇と対立。
  • 1534年 b 首長法 (国王至上法)  を制定。→ 教皇と絶縁する。
     = c イギリスの教会は国王を首長とすること   と宣言した。
     さらにd 修道院の解散  を強行し、その土地財産を没収し貴族などに与える。
  •  エドワード6世   教義面での改革進む。
    1549年 ▲e 一般祈祷書  制定。プロテスタントの教義を採用。
B カトリックへの復帰
  •  メアリ1世   ▲スペイン王b フィリペ2世  と結婚。
    カトリック復帰をくわだて、新教徒を厳しく弾圧、「血のメアリー」と言われる。
エリザベス1世   の治世。
  • 1559年 a 統一法  制定:国教会の制度を確立。 → b イギリス国教会  の確立。
  • 1563年  信仰箇条  39ヶ条を制定
  •  イギリス国教会   の特徴
    • 教義ではc カルヴァン主義を採用  している。
    • 教会制度ではd 司教(主教)制度を維持  している。
    • 儀式面ではe カトリックと共通  している。
    •  イギリス国王が教会の首長を兼ねる。   
  • イギリスの宗教対立  16世紀後半 イギリスg 絶対王政  の全盛期、イギリスの宗教対立が続く。
     国教会信者=国教徒と、非国教徒=カルヴァン派に近い、h ピューリタン  などの対立。(後出)
・その後もカトリック復興の動きが続く。i イギリス革命  の過程でカトリックは排除され、国教会の優位が確立。

解説

 新教(プロテスタント)はさらに多くの分派が生まれていく。例えば、再洗礼派は幼児洗礼を認めない急進派で、成人洗礼のみを有効と主張した。ドイツのミュンツァーなどに源流があり、ネーデルラントなどで盛んになったが、厳しく弾圧され、その一部がアメリカ新大陸に渡り、 アーミッシュ などとなった。
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用語リストへ ウ.対抗宗教改革

■ポイント 宗教改革の展開に対し、カトリック教会はどのように対抗したか。

対抗宗教改革   a 宗教改革の進展に危機感を持ったカトリック側の改革運動  
  • プロテスタントに対抗して、教義の明確化と内部改革によって勢力の回復に努める。
  • 1545年 a トリエント公会議  :教皇パウルス3世が召集。3回開会し、1563年に閉会。
     教皇の至上権、救済は信仰と行動によることなどの教義を確認。聖職者の生活の粛正などを決議。
  • 禁書目録の作成、b 宗教裁判所  の設置など、カトリック教会の体制強化を図る。
イエズス会   の活動   1534年結成  ”屍の如く”がモットー。
ロヨラとザビエル

 ロヨラ とb ザビエル 

  • スペイン人a ロヨラ  とb フランシスコ=ザビエル  らが結成した
     修道士会。(c ジェスイット教団  ともいう。)
     = 厳格な軍隊的規律により積極的な布教と教育活動を展開。
     → 特に、南ヨーロッパで新教の波及をはばみ、南ドイツでは地域を挽回。
  • 積極的に宣教師を派遣、アジア・アフリカ・ラテンアメリカへの布教を展開。
  • 1549年 b フランシスコ=ザビエル   日本ではじめて布教。
     → さらに中国に向かう。
  • ポルトガル、スペインの植民活動と結び付く。 「胡椒と霊魂」と言われた。
C 宗教対立の深刻化
  • 旧教徒と新教徒が、互いに相手をa 異端  として排除しあう。
  •  魔女狩り   カトリック信仰に反する行いをするものは悪魔の手先であり、魔術を使うとして迫害した。
     → 16~17世紀に最も盛んで、犠牲となったのは約10万とも言われる。女性だけでなかった。
・16~17世紀 ユグノー戦争・オランダ独立戦争・三十年戦争などd 宗教戦争  が続く。 → 後出
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