社団/中間団体/社団国家
16~18世紀ヨーロッパで、国王から一定の特権を与えられ、独立性を認められた団体で、ギルドのような同業者組合、都市や村落の地域的共同体などがそれにあたる。絶対王政は、社団を媒介して国民を統治した。
ヨーロッパの絶対王政(絶対主義)、中でもフランスの17~18世紀のルイ14世の、いわゆる絶対王政期に王権を支えると同時に、王権を制限する力を有した様々な社会的団体を社団と捉え、それによって支えられている王権が支配する国家を社団国家とする。従来の絶対主義論に替わって提唱された、中世から近代への移行期に現れる国家形態と捉え、その体制が市民革命で倒されるまでを「近世」とも捉えられる見方が出されている。 → 主権国家
社団とは
やや立ち入ることになりますが、日本で「社団」と言う概念を絶対王政の説明として早くから用いている著名な歴史家の説明を直接見てみましょう。(引用)・・・「自然生的」結合関係の上に成立し、多かれ少なかれ法人格を付与されているような社会集団を、以下では「社団」(corps)と呼ぶことにしよう。それは広い意味での「身分」概念と重なり合うが、聖職者・貴族・第三身分といった狭義の「身分」概念―またそれが喚起する水平的な階層秩序のイメージ―との混同を避けるため、「社団」という表現を用いることにする。立ち戻って言えば、空間的結合において見られた「地方」「地域」「都市」なども同様の意味において「社団」として捉えることができるのであり、・・・そして、ここにいう「社団」こそが、モンテスキューやトクヴィルがあれほどに重視したいわゆる「中間団体」corps intermédiaires なのであって、絶対王権は、国民を個々ばらばらに、君主対臣民という一元的関係において捉えていたのではなく、まさに社会の社団的編成を前提にした上で、それらの中間団体を媒介することにより、初めてその支配を維持することができたのである。・・・絶対王政がしばしば特権の体系と呼ばれるのもそれゆえであり、王権は諸社会集団の「自由」を無視しては存立しえなかった反面、「自由」はたは「特権」の形をとってしか現われえなかったと言ってよい。アンシャンレジームの用語法において、liberté、franchiese、privilége がしばしば同義語として用いられているのは、その意味でまことに象徴的と言えよう。<二宮宏之「フランス絶対王政の統治構造」1979『全体を見る眼と歴史家たち』1986 木鐸社刊 p.144(現在は平凡社ライブラリーで刊行)>
参考 教科書に見る「社団」
比較的新しい歴史概念であるため、教科書では扱いが慎重であるようだ。山川出版『詳説世界史』2013年版では、絶対王政の説明の中で、「絶対王政のもとでも社会には旧来の身分制度が残っており、領主である貴族や聖職者たちは免税などの特権を持つ中間団体を形成して、国王による国民の直接支配をさまたげた」<p.214>とあり、ルイ14世の説明のところで「王権は治安・交通・衛生などに関わる諸問題に積極的に取り組んだ。しかし、貴族や都市自治体などの特権団体がいぜんとして大きな勢力をもっていたため、王権による中央集権化のすすみ方はゆるやかであった」と書かれていて、「社団」の用語は「中間団体」「特権団体」という語句に置き換えられている。また、実教出版『世界史B』2012年版では、本文で「絶対王政(絶対王政)とよばれる強力な国王統治体制が成立した。国王は、一般に官僚制と常備軍をととのえ、新しい税制や法律を定め、言語を統一するなどして国家統合につとめた」として、欄外の注で「国王は、身分やギルド、村落共同体や都市などの団体の特権や慣行を認めたうえで統治したに過ぎず、絶対的な権力を行使できたわけではなかった」としている。「絶対王政とよばれる強力な国王統治体制」でありながら「絶対的な権力を行使できたわけではない」? これってヘンですね。しかし、頭を柔軟にして、中間団体・社団国家と言った概念を理解するようにしましょう。 → ハプスブルク帝国の項を参照