フリードリヒ=ヴィルヘルム1世
18世紀前半のプロイセン国王。軍国主義政策を採り、プロイセン大国化の基盤を作る。フリードリヒ大王の父。
プロイセン王国・ホーエンツォレルン家の国王(在位1713~40年)。プロイセン王国の強力な軍隊を作り、官僚制を整備し、重商主義政策をとり、典型的な絶対王政を展開した。その大きな特徴は、「国全体を兵舎にする」といわれた軍国主義政策であった。フリードリヒ2世(大王)の父である。
プロイセンの軍国主義
フリードリヒ=ウィルヘルム1世はプロイセン王国の国家予算を作成させ、徹底した節約を官僚に命じたが、軍隊の育成は例外とされ、多額の費用が投入された。当時のプロイセン王国の年間歳入は750万ターレルであったが、その中からおおそ500万ターレルは軍隊のために使用された。国王は国内の農山村各地域、時としては諸外国からも若い青年を募集し、王国軍に送り込んだが、募集とは名ばかりでその実態は強制であり、徴用であった。それによってプロイセン王国は人口でも軍事力でも、フランス・オーストリア=ハンガリーに次ぐ、ヨーロッパの中で第三位の地位についた。同時にブランデンブルク=プロイセンは、全国津々浦々が、“兵営化”され、まるで国全体が一種の“兵舎”に変貌してしまった。<マンフレッド・マイ/小杉尅次訳『50のドラマで知るドイツの歴史』2003 ミネルヴァ書房 p.121-122>Episode 巨人軍大好きな「兵隊王」
フリードリヒ=ウィルヘルム1世は、その乱暴な振る舞い、教養のなさから「兵隊王」とあだ名された。彼の軍隊の中核となる近衛兵は背の高い兵士をそろえ「巨人軍」と称し、自ら鞭を揮い号令をかけて訓練したという。体の大きい、屈強な若者がいると、警官が無理矢理に連れてきて(時には暴力で)近衛兵にしてしまったという。そのような暴力で集めた軍隊なので、規律も暴力的になり、脱走には「列間鞭打ち」の罰が与えられた。