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カルティエ

カナダ北西部を探検したフランス人。1534年に初上陸し、カナダと名づけフランス植民地として宣言。からフランスの北米進出の先駆となった。

 フランスのフランソワ1世の命により、1534年から3度にわたり、現在のカナダの北西部セントローレンス川流域を探検した。フランソワ1世はスペイン・ハプスブルク家のカルロス1世と対抗するため、アメリカ大陸の北部に植民地を獲得することと、アジアへの通路(北西航路)を探索することをブルターニュ生まれの船乗りジャック=カルティエに託した。彼はアジアへの通路を発見することはできなかったが、第1回航海で広大なセントローレンス川流域に足を踏み入れ、1534年7月24日に上陸し、フランス領カナダ(ヌーヴェル=フランス)獲得の始まりとなった。

Episode カナダの地名の由来

 カルティエは初めて大きな入り江に入った日が「聖ローランの日」だったので、その入り江にセントローレンス川という名前をつけた。さらにセントローレンス川をさかのぼり、川の隘路にさしかかったため上陸し、近くの村を訪ねた。そこはイロクォイ族インディアンの集落だった。カルティエはインディアンたちが「カナッタ」と言っているのを聞いて、この地の地名だと思い、それが現在のカナダの地名となった。しかし、「カナッタ」とは、インディアンの言葉で「集落」という意味だったらしい。また上陸地点は後にケベックといわれるようになるが、それもインディアンのことばで「川の隘路」の意味だという。さらに上流で、川を逆登れなくなったカルティエはうらめしげに西の山を見上げて、その山を「王の山(モン=ロアール)」と名付けた。この名からこの地をモントリオールといようになった。<ケアレス『カナダの歴史』1977 山川出版社 p.36-37、細川道久『カナダの歴史がわかる25話』2007 p.94>
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書籍案内

細川道久
『カナダの歴史がわかる25話』
2007 明石書店