印刷 |  通常画面に戻る | 解答・解説表示 |

詳説世界史 準拠ノート(最新版)

第9章 近世ヨーロッパ世界の展開

2節 ヨーロッパ諸国の海外進出

用語リストへ

Text p.232

ア.アジア市場の攻防

■ポイント ヨーロッパ諸国のアジアへの進出の状況を知り、アジアに与えた影響を考える。(7章4節を参照)

・16~17世紀のa 大航海時代   → ヨーロッパ人のアジア進出始まる。(前出 8章1節)
 = ヨーロッパ人の活動はb 既存のアジアの域内貿易に参加し、特産品を獲得すること  が主であった。
   アジアに進出したヨーロッパ諸国= c ポルトガル・スペイン・オランダ・イギリス・フランス  など。
 → 産業革命後のd 18世紀以降は領土的野心が重視される  ようになっていく。 
ポルトガル  東廻りでアジア市場に進出。
  • 1498年 バスコ=ダ=ガマ インド航路開拓。a カリカット  に到達。インド総督となる。(前出)
     1509年 インド総督アルブケルケ が▲b ディウ沖の海戦  でマムルーク朝エジプト海軍を破る。
  • 1510年 インドのc ゴア  を占領。アジア貿易の拠点とする。

    解説

    ポルトガルがゴアを占領した時期、南インドはヴィジャヤナガル王国があった。ムガル帝国が北インドに登場するのは1526年、その勢力が南インドに及ぶのは17世紀のアウラングゼーブ帝の時代であることに注意する。ゴアはその後もポルトガルの領有地としてインド洋交易で栄え「黄金のゴア」と言われた。インドが接収するのは1961年のことである。
     → d 香辛料貿易  を独占していたe ムスリム商人  と競合しつつ、東南アジアへも進出。
  • 同年、f スリランカ(セイロン島) を征服。東南アジアの香料諸島への中継地として支配。
  • 1511年 イスラーム教国のg マラッカ王国  を滅ぼす。海峡地帯を制圧。
  • 1512年 h モルッカ諸島(香料諸島)  に進出。丁子・肉ずくの産地として重要。

    解説

    香辛料とは胡椒・肉桂(シナモン)・丁字(クローブ)・肉ずく(ナツメグ)などの口に入れて刺激を楽しむもの(スパイス)をいい、香料は厳密には乳香や白檀など香りを楽しむものといった違いがあるが、一般にそれらを総称して香料とも言っている。南インドのカリカットのあるマラバール海岸は胡椒の産地であり、スリランカは肉桂の産地であった。モルッカ諸島は現在のインドネシアに属し、スラウェシ島とニューギニア島に挟まれた諸島で、丁字・肉ずくの産地であったが、香料諸島と呼ばれた。後のアンボイナ事件の起こったアンボイナ島もその一つ。
     → 1521年にスペインのマゼラン艦隊が到来。香辛料貿易をめぐり激しい対立始まる。
  • 1517年 中国のi 広州  に至り、j 明  と通商開始。1557年 k マカオ  に居住権を得る。
  • 1543年 ポルトガル人、l 種子島  に漂着、鉄砲の伝来。
     → 1550年からm 平戸  で日本との通商始まる。 → 17世紀初めまで、盛んに交易。(南蛮貿易)

    解説

    17世紀 アジアにおけるポルトガルの後退:16世紀後半、インド洋香料貿易は最盛期を過ぎ、ポルトガルも本国が1580年にスペインに併合されたためアジアから後退した。1622年にはホルムズ島(1515年に占領)をサファヴィー朝イランのアッバース1世に奪われ、アラビア半島東端のオマーンも1650年に現地勢力に奪回された。代わってインド洋から東南アジアにかけてオランダとイギリスが進出、セイロン・マラッカ・モルッカ諸島をいずれもオランダに奪われた。そのような中で日本でも鎖国により平戸から撤退した。ポルトガルのアジアにおける拠点はインドのゴア、中国のマカオ、東南アジアの東ティモールなどだけとなり、植民地支配の重心は南米のブラジルとアフリカのアンゴラ、モザンビークなどに移る。
     その問題点 n 貿易は王室の独占事業とされ、国内産業の発展につながらなかった。    
スペイン  西廻りで新大陸から太平洋に進出。
ガレオン船
  • 1521年 マゼラン、a フィリピン  到着。(前出)
     → 死後、艦隊がb モルッカ諸島  に到達。ポルトガルと香料貿易で競合。
     → 1529年 ▲c サラゴサ条約  で領有権をポルトガルに譲渡。
  • 1571年 フェリペ2世の時 a フィリピン  を領有。
     → d マニラ  を建設。中国の絹織物などがもたらされる。
    メキシコのe アカプルコ  との間のf ガレオン船  が往復。
  •  マニラ  を拠点としたg ガレオン貿易  の展開(前出 7章4節)
    アメリカ大陸へh 中国産の絹・陶磁器・インド産の綿布  が運ばれ、
     アメリカ大陸からi メキシコ銀  などがマカオなどを経て中国のにもたらされた。
オランダ  1581年 スペインから独立宣言、海外に進出開始。
  • 1602年 a 東インド会社  設立(前出)。東南アジア進出を開始。
     → ジャワ島に拠点b バタヴィア  を建設。→ポルトガル勢力を駆逐。c 香辛料貿易  の実権握る。
  • 1609年 d 日本  とも交易を開始。 → 1639年 鎖国後も長崎出島で交易を継続。
  • 1623年 e アンボイナ事件  起きる。f モルッカ諸島  でg イギリス  と衝突。

    Text p.233

     → イギリス商館員(日本人含む)を殺害。インドネシアからg イギリス  の勢力を閉め出す。
     → h オランダ領東インド  の形成。 → g イギリス  はインド経営に向かう。
  • 1624年 明末の混乱に乗じi 台湾  を占領。→ 61年 j 鄭成功  に奪還される。(7章1節参照)
  • 1652年 南アフリカにk ケープ植民地  建設。l オランダ領東インド  の支配への中継基地とする。
     → この地に入植したオランダ系の人びとをm ブール人  という(後出)。
イギリス  テューダー朝・ステュワート朝からイギリス革命期にかけて海外進出を開始。
  • 1600年 a 東インド会社  設立(前出 8章4節)。 → 東南アジアの香辛料貿易に進出。
     → スペイン・ポルトガル(1580年に同君連合となる)に対抗するため、一時、b オランダ  と協力。
  • 1623年 c アンボイナ事件  でb オランダ  に敗れ、d インド経営  に転換。
  • 1639年 e マドラス  に上陸し、翌年、要塞を築く(現在のチェンナイ)。
  • 1661年 f ボンベイ  をポルトガルから譲渡される(現在のムンバイ)。
  • 1690年 g カルカッタ  に商館を建設。ベンガル地方の拠点とする(現在のコルカタ)。
  • 一方で17世紀後半、3度のh 英蘭戦争  に勝ち、世界貿易の覇権を握る。(9章1節参照)
フランス  ブルボン朝の絶対王政のもとで盛んに海外進出。1604年 a 東インド会社  設立。
  •  ルイ14世   海外植民地獲得に乗り出す。
  • 1664年 財務長官c コルベール  、a 東インド会社  を再建 → d インド  に進出をはかる。
  • 1673年 e シャンデルナゴル  建設。 → イギリスのカルカッタに対抗。
  • Text p.234

  •  〃  4年 f ポンディシェリ  建設。→ イギリスのマドラスに対抗。
インドでの英仏植民地抗争 
16~18世紀 インドへのヨーロッパ諸国の進出
インドでの英仏抗争
  • イギリス・フランスの両国がa ムガル帝国  の内紛に乗じ、
     それぞれが地方豪族と結ぶ。
  • 18世紀 ▲b 第2次英仏百年戦争  ともいわれる。
  • 1744年~61年 ▲c カーナティック戦争  
     フランス総督d デュプレクス  が一時イギリス勢力を圧倒。
  • 1757年 e プラッシーの戦い  が起こる。同時に
     ヨーロッパにおけるf 七年戦争  
     北米大陸でのg フレンチ=インディアン戦争  起こる。
     → h クライヴ  指揮のイギリス東インド会社傭兵軍が
     フランスとベンガルの土豪連合軍に勝利する。
・イギリスのインド支配の確立。 → i イギリス第一帝国  の形成。
(右図)a ゴア   b カリカット   c スリランカ  
 d ボンベイ(ムンバイ)   e マドラス(チェンナイ)  
 f ポンディシェリ   g カルカッタ(コルカタ)   h シャンデルナゴル   i プラッシーの戦い  
先頭へ
用語リストへ イ.アメリカにおける植民地争奪

■ポイント ヨーロッパ各国のアメリカ大陸への進出状況、特にイギリスとフランスの抗争の経過と影響を理解する。

スペイン  コロンブスの西インド諸島到達(1492年)以来、南北アメリカ大陸に進出。
  •  ブラジル  (ポルトガル領)を除き南北アメリカ大陸ほぼ全体を支配し、多くのスペイン人が入植。
  • 16世紀 b エンコミエンダ制  による農園経営 →c インディオ人口の減少   
     → 西アフリカからd 黒人奴隷  を労働力とするようになる。
  • 1545年 e ポトシ銀山  発見。銀が大量にヨーロッパにもたらされる。
  • 17世紀 メキシコでのf アシエンダ制  による大農場経営を進める。
     = スペイン人大土地所有者がインディオを債務奴隷として経営する大農園。(以上、前出 8章1節)
オランダ  
  • 1621年a 西インド会社  設立。アフリカ西岸とアメリカの通商権を独占。
     → 北アメリカにニューネーデルラント植民地を領有、b ニューアムステルダム  建設。
  • 1664年 c 英蘭戦争  の間に、イギリスが占領し、d ニューヨーク  と改称。(前出)
     → アメリカ大陸からは撤退し、東南アジア経営を主力とするようになる。
フランス  
  • ▲1534~42年  カルティエ 、フランソワ1世の命令で北米を探検。
     → セントローレンス川流域を占有して、1535年 a カナダ  と命名。
  • 1608年  シャンプラン 、b ケベック  建設。インディアンとの 毛皮 の取引を開始。
  • 1682年 ラ=サール、ミシシッピ川流域を探検。
     → c ルイ14世  に献げ、d ルイジアナ  と命名。アメリカ大陸中部に広大な領地を得る。
  • ▲1697年 中米カリブ海のe ハイチ  をスペインから獲得。(後出)
イギリス  
  • 1607年 ローリーが北アメリカ東岸のa ヴァージニア  に植民地建設。
  • 1620年 b ピューリタン  (ピリグリム=ファーザーズ) メイフラワー号で移住。
     → プリマスに定住して、c ニューイングランド植民地  を形成。以後、新教徒の移住が多くなる。
  • 18世紀前半まで北米大陸東岸にd 13植民地  を建設。(後出)
     → イギリス人は先住民e インディアン  と融合せず、その居住地を圧迫していった。
  • 1609~11年  ハドソン がf カナダ  の北西部を探検。
     → 1670年にはハドソン湾会社を設立し、e インディアン  との毛皮交易を行う。
  • 1655年 クロムウェルの時、スペイン領の▲g ジャマイカ  を占領する。
     → カリブ海域の砂糖の生産と三角貿易の拠点として重要になる。

Text p.235

アメリカ大陸での英仏の植民地争奪  
  • 18世紀 ヨーロッパ本土での対立と同時にアメリカ植民地でも争う(a 第2次英仏百年戦争  
  • 1688~97年  ファルツ戦争 = 植民地でウィリアム王戦争 → ライスワイク条約で講和。
  • 1701~13年  b スペイン継承戦争  = 植民地でc アン女王戦争  → d ユトレヒト条約 
     講和の内容 イギリスは、スペインから ジブラルタル ・ミノルカ島を獲得、さらにフランスから
            ニューファンドランド・アカディア・ハドソン湾地方 を獲得し北米大陸に領土拡張。

    解説

    アシエントとはスペイン領(アメリカ)への「奴隷供給契約」のことで、スペイン王室から奴隷商人に与えられていた。1517年、カルロス1世(カール5世)からフランドルの商人に与えられたのが始まりで、次にジェノヴァ商人がその権利を買い取った。スペイン継承戦争でフランスに与えられたが、戦後の講和条約ユトレヒト条約の付帯事項としてフランスからイギリスに譲渡された。これによってイギリスの商人が黒人奴隷貿易を行うことが認められた。イギリスはユトレヒト条約で海外領土を獲得しただけでなく、アフリカの黒人奴隷貿易の権利を獲得し、三角貿易に乗り出すこととなった。なお、「アシエンダ制」はスペインがメキシコで行った大農園制の土地経営のことで意味が違う事に留意すること。
           ▲同時に、イギリスはスペインからe アシエント  (奴隷供給契約)も獲得。(後出)
  • 1740~48年 f オーストリア継承戦争   = 植民地でのg ジョージ王戦争    → アーヘンの和約
  • 1756~63年 h 七年戦争   = 植民地でのi フレンチ=インディアン戦争   → j パリ条約  
      講和の内容 イギリス:フランスからk カナダ  ・ミシシッピ以東のl ルイジアナ  、スペインから
            m フロリダ  を獲得。他に西インド諸島の一部およびアフリカのセネガルを獲得。
           フランス:他にミシシッピ以西のl ルイジアナ  をスペインに譲渡し、北米での領土全て失う。
      ※並行して、インドではn プラッシーの戦い  が起こっている。(前出)
参考地図:北アメリカ大陸の植民地
地図 北米大陸の植民地

各年代での植民地獲得国 a フランス    b イギリス   c スペイン   センターテスト 1990年 第1問より

・イギリスとフランスの植民地戦争 結果と影響
  • イギリスは、a 第一帝国と言われる植民地帝国  の基礎をつる。一方、戦争の負担を植民地に押しつける。
     それに対して植民地側の不満が強まり、北米大陸でb アメリカ独立革命  起こる。(1776年)
  • フランスは、侵略戦争と植民地戦争の出費が国家財政を破綻させc フランス革命  が勃発。(1789年)
先頭へ
用語リストへ ウ.奴隷貿易と近代分業システムの形成

■ポイント 黒人奴隷貿易の実態を知り、そのもたらしたものを理解する。

黒人奴隷貿易の開始  
  • アフリカ東海岸 a ムスリム商人  によるインド洋交易での黒人奴隷貿易が展開されていた。
      内陸の非イスラーム教徒が奴隷とされザンジバルなどから西アジア各地に運ばれた。
  • 大西洋ルートのb 黒人奴隷貿易  
     15世紀 c ポルトガル  の西アフリカ海岸の探検:黒人をヨーロッパに連れて行き労働力とする。
        → 西欧諸国による大西洋ルートによるb 黒人奴隷貿易  が始まる。
     16世紀 d 西インド諸島  やラテンアメリカのスペイン植民地でのe インディオ  人口の激減。
      理由:f スペイン人による酷使な労働と、ヨーロッパ人によってもたらされた伝染病のため。  
      → 大陸での労働力不足 → アフリカの黒人を奴隷として輸入し労働力とするようになる。
      → スペインは、黒人奴隷供給契約(▲g アシエント  )を、外国商人と結ぶ。
  • アフリカ西海岸での奴隷供給 h ギニア地方  (現ギニア~カメルーン)が奴隷供給地となる。
     ▲i ベニン王国  、ダホメー王国などの黒人首長が内陸で奴隷狩りを行った。
  • 西インド諸島 17世紀 スペイン入植者によるサトウキビ・タバコ・綿花などの
     j プランテーション  経営の拡大。
     → 19世紀までにおよそ1000万人の黒人奴隷が運ばれたと推定される。
奴隷貿易船

 中間航路 の奴隷船

Text p.236

三角貿易  
  • 17世紀~18世紀 大西洋上で次のような貿易が展開される。
三角貿易
a. 砂糖    b. 綿花   c. タバコ  
d. コーヒー     e. 武器・雑貨  
f. 黒人奴隷  
 ※このコースはg 中間航路  といわれ、劣悪で危険であった。

Text p.226

イギリスの繁栄   1670年代末 議会内に二つの派が生まれる。
  • 1713年 ユトレヒト条約で、スペインから▲a アシエント  (奴隷供給契約)を認められる。
     → イギリス、b 黒人奴隷貿易  で大きな利益を得る。
     → c リヴァプール  とブリストルが奴隷貿易で繁栄。
  • 18世紀中ごろ イギリスのd 第一帝国  (第一次植民地帝国)の成立
     = アメリカ新大陸・西インド諸島・アフリカ・インドに及ぶ植民地を支配する。
  • 奴隷貿易がイギリスにもたらした影響
     奴隷貿易による富を資本として蓄積し、18世紀中ごろからの産業革命を展開することができた。  
  • 奴隷貿易がアフリカに与えた影響
     特に西海岸地方での労働力の損失は大きく、次の時代のアフリカの後進性の要因となった。   
・世界経済システムの分業化が進む。
先頭へ


前節へ : 目次へ : 次節へ

ガレオン船
メールボタン