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シャンプラン

フランスのアンリ4世の時代の1608年、カナダのケベックにフランス植民地を建設した。

 17世紀のフランス人で、植民地カナダを建設したとされる人物。サミュエル=ド=シャンプランは1567年頃、ラ=ロシェルの南、ブルアージュという小さな開港で生まれ、その一族はユグノーであったらしいが、名目的には献身的なカトリックであった。アンリ4世の下で、ブルターニュ地方で軍務に服した後、新世界に関心を持ち、1599年にスペイン船に便乗して新大陸に渡り、パナマに旅行した後に《両洋を結ぶ運河》を提唱する。しかし、スペイン植民地の悪弊と非能率ぶりを見た彼は新たな《フランス帝国》の建設の構想を抱いて帰国した。
 その後、アンリ4世が派遣したカナダ遠征隊に加わり、1603年にカナダに上陸してアルゴンキン=インディアンと同盟を結び、セントローレンス川を遡って現在のケベックの付近を通り、モントリオールのラシーヌ早瀬に達した。そこから先はカヌー以外には航行できなかったので一旦戻ったが、インディアンから五大湖地方の情報を得、帰国後小冊子を出版してカナダへの植民を呼びかけた。その後、何度か植民活動をすすめポール・ロワイヤルなどの拠点を設けて、その地はアカディアと言われるようになった。<ペンローズ『大航海時代』荒尾克己訳 筑摩書房刊 p.285-288>

ケベックの建設

 1608年、シャンプランはセント=ローレンス川流域を遡り、7月3日にケベックの町を創建した。その後の厳しい冬と壊血病などの困難を乗り越え、抵抗を続けていたイロクォイ=インディアンをアルゴンキン=インディアンと同盟して破り、その植民地ヌーヴェル=フランス(新フランス)の基礎を築いた。その後も探検を続け、ヒューロン=インディアンの助けを得ながら五大湖地方から現在のニューヨーク州北部を廻り、ケベックに帰還した。
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