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望遠鏡

17世紀初めにオランダで発明され、ガリレイ・ケプラー・ニュートンなどが改良し、天文学の発展をもたらした。

 17世紀の科学革命をもたらした新しい用具の一つ。望遠鏡は、1608年、オランダの眼鏡職人リッペルスハイが考案したとされる。リッペルスハイは二つのレンズを組み合わせることによって遠方の物体を手元に引き寄せてみることが出来ることに気付き、望遠鏡を考案した。望遠鏡が発明されたことは衝撃をもって迎えられ、全ヨーロッパに知られた。

Episode めがね屋、偶然の発見

 オランダはもともとめがね製造が盛んなところだった。リッペルスハイというめがね屋が、あるときふとなにげなく、手にしていた老眼用の凸レンズと近眼用の凹レンズとを、すこし離してならべ、凹レンズをとおしてむこうの教会の塔をながめると、それがとても大きう見えたので、びっくりした。この偶然のできごとが、望遠鏡発明のきっかけになった。そして彼は、政府にこのしかけの特許を申請し、また双眼鏡も考案した。<平田寛編著『歴史を動かした発明』1983 岩波ジュニア新書 p.162>

望遠鏡改良史

ガリレオ 望遠鏡発明のニュースは驚くほどの早さでヨーロッパに広まった。当時、イタリアで物理学や天文学を研究していたガリレオ=ガリレイもそのことを聞きつけ、さっそく2枚のレンズによる望遠鏡づくりに没頭し、光の屈折理論から望遠鏡の原理を解明した。1609年の夏、ガリレオは望遠鏡を自作することに成功、それは鉛の筒の一端に対物用の平凸レンズを、他端に接眼用の平凹レンズをとりつけたもので、最初の望遠鏡は実物の3倍(面積では9倍)に見えた。さらに改良を加え、実物の30倍(面積では約1000倍)の高倍率で見ることができた。彼が初めてそれを空に向けたとき、今まで未知だった天界の姿が鮮明に現れた。月には山があってでこぼこしており、太陽には黒点があり、木星には回転する4つの衛星があった。コペルニクスの地動説を確信せざるを得なかった。ガリレオは、同年に『星界の報告』を発表した。<平田寛『上掲書』p.160/小山慶太『科学史年表』中公新書 p.20,21/田中一郎『ガリレイ裁判』岩波新書 p.38 など>
ケプラー ガリレオの望遠鏡は対象が正立像に見えたが、視野が狭いこと、倍率をそれ以上に上げることはできないという欠点があった。天文学では対象が倒立像になってもかまわないので、視野を広く、倍率を高める工夫が続けられた。それに成功したのがケプラーだった。ケプラーは、対物用にも接眼用にも凸レンズを使う屈折望遠鏡を発明し、一気に視野をひろげ、倍率を高くした天文観測専用にもちいられ、天文知識は一気に豊富になった。
ホイヘンス オランダのホイヘンス(1629-95)は1655年にレンズの新しい研磨法を発明し、強力な屈折望遠鏡をつくり、それを用いて土星の第6衛星と環を発見した。彼は天文観測を行うための正確な時計の制作を試み、振り子時計を発明した。その功績で1663年にイギリスの王立協会にまねかれ、さらにルイ14世に招かれてフランス科学アカデミーの最初の外国人会員となった。その後も望遠鏡の改良を続け、超焦点距離レンズの制作に成功し、フックの光の波動説をさらに進め、1678年、光の伝播に関する「ホイヘンスの原理」を発見するなど光学の発展に寄与した。
ニュートン 倍率の高い大型望遠鏡がつくられるようになったが、その際に使う大きな対物レンズでは、対象は大きく見えても、その像のまわりにぼやけや歪みが生じ、色のしまができるという現象(収差)があらわれてしまう。そのころ新しい望遠鏡の制作に取り組んでいたニュートンは、レンズの代わりに放物面鏡で光を集める反射望遠鏡を作り上げた。ニュートンが最初につくった反射望遠鏡は直径2.5センチ、長さ15センチのごく小さいなもので、倍率は30~40倍だった。それでも木星の衛星や金星の満ち欠けは十分見えたという。彼は1772年にもっと大きくした二回目の製品を王立協会に寄贈し、その功績で会員に選出された。<平田寛『上掲書』p.164/大野誠『ジェントルマンと科学』1998 世界史リブレット 山川出版社 p.41>
ハーシェル 反射望遠鏡はその後も大型化し、1795年には、ドイツ系イギリス人W.ハーシェルが、反射鏡と凸レンズとの距離が13メートル、反射鏡の大きさは直径1.22メートルもあった。胴体は銅と錫の合金で作られ、重さが1トンもあった。彼は妹のカロリーヌとていねいに反射鏡を磨き上げ、かずかずの天体現象を発見、なかでも天王星も彼らが見つけたのだった。
望遠鏡の大型化 反射望遠鏡の大型化はその後も続き1913年にはアメリカで建てられたウィルソン天文台の反射望遠鏡は直径が約2.5メートルもあり、1948年に建てられたパロマ山では直径5メートル以上にもなった。20世紀には従来の望遠鏡とは違って、放物面反射鏡をアンテナにして、そこへ天体や宇宙からくる電波を集めて宇宙の姿や性質を研究するための電波望遠鏡も盛んに作られるようになった。<以上、主として平田寛編著『歴史を動かした発明』1983 岩波ジュニア新書 により構成>