ルーベンス
17世紀初頭に活躍したフランドル派の画家。バロック絵画の代表的画家として、多くの作品を残している。イタリアで修行した後にアントワープで活動、宗教画・人物画にダイナミックな大作を制作。スペインのネーデルラント総督に仕え、外交官としても活躍した。
ルーベンス Rubens 1577~1640(リュベンスとも表記する)は、フランドル地方(南ネーデルラント、現在のベルギー)のアントワープで活躍していた法律家の子として、ドイツで生まれた。父の死によってアントワープにもどってから美術を志し、イタリアに渡って修行をした。イタリアのマントヴァで宮廷画家となり、古代美術に触れるとともにティツィアーノやティントレットといったヴェネツィア派の画家の影響を強く受けた。アントワープに戻って工房を設けるとともにスペインのネーデルラント総督に仕えた。スペイン宮廷にも赴き、宮廷外交官としてイギリスやフランスにも派遣され、それぞれの宮廷でも腕をふるい、国際的にも活躍した。彼の工房で弟子として学んだのがファン=ダイクである。
バロック美術の代表的画家
ルーベンスの画風は、イタリア・ルネサンスの影響を受けながらも、フランドルの風土に根ざしており、フランドル派とも言われるが、美術史上はバロック美術の代表的画家とされている。特徴は、形式に囚われない劇的表現、明暗に富んだ豊かな造形など、壮麗で劇的迫力に満ちている。その題材は、キリスト教の宗教絵画、神話、歴史的出来事、風景など多彩である。主な作品には『キリスト昇架』,『マリ=ド=メディシスの生涯』(フランス王アンリ4世の王妃を描いた)など。作品
- キリスト昇架 1610~11 アントワープのカトリック教会祭壇に掲げられた三連祭壇画。キリストが十字架に架けられるシーンを動的に描いている。その表現はミケランジェロや、直接影響を受けたイタリアのカラヴァッジョを想起させる。
フランドルは当時、スペインの支配下にあり、プロテスタント市民を抑えるためにもカトリック信仰の復興が図られていた。スペインのネーデルラント総督に仕えたルーベンスの絵はそのようなスペインの意図に添ったものだったのだろう。 - マリ=ド=メディシスのマルセイユ上陸 1622 ルーベンスはスペインの宮廷に仕える一方、外交官として活躍しながら、ヨーロッパ各国の宮廷の注文を受けて、建築を装飾する大型世俗画もたくさん制作している。これはフランス国王ルイ13世の注文を受け、国王の母マリ=ド=メディシスの生涯を描いた連作のうちの一つ。歴史的人物に神話的に描き、その表現は明るい色彩とやわらかな筆遣いで劇的な効果を生んでいる。